
兵庫県豊岡市出石町鳥居に広がるのどかな自然の中に農楽(の〜ら)があります。
今回お話しをうかがったのは、障害として理解されにくい軽度発達障害や対人関係の不調などの理由で
社会に参加することができない若者たちが、再び社会に復帰する前にちょっと一呼吸おいて体力、気力を充電することができる、そんな家と社会の中間的な居場所というべき「農楽(の〜ら)」と呼ばれる暮らしの学校代表の木村尚子さんです。
子供をもつ親であれば誰でも子育ての最終目標は、自分が亡くなった後に我が子が一人でも食べていけるかどうかだと思います。
木村さんには軽度の発達障害がある息子さんがおられますが、
周りに仲間や指導者がいて、自分で食べ物を作り出せるようになれば、安心して先立てるのではないかと、その親心から立ち上げたのが暮らしの学校、農楽です。
木村さんは大阪出身。ご主人の生まれ故郷に20年前にここ豊岡市に来られました。
外大卒の木村さんは、田舎に移っても仕事ができるようにと、フリーランスのコンピュータ技術翻訳を家で続けておられました。
そんなある時、ひたすら黙々と朝から晩までパソコンの前で仕事をする働き方に疑問を感じ、パソコン画面からふと顔をあげた時にそこに広がる自然の存在に目をとめられました。
縁あって自然体験活動やまちづくり活動に参加する中で、有機農業に出会い、共感しあえる仲間も増えてきて絆が広がっていきました。
当初は、息子さんのために立ち上げた農楽でしたが、ひきこもりがちな人達が社会に出て行く第一歩として、様々な若者たちが通ってくるようになりました。
農楽では、天候、環境条件によって思い通りに育たない農作物と格闘したり、失敗OKな雰囲気の中で、若者が共働作業を積み重ねることで、実際の社会に飛び込んでもしぶとく生き抜ける力を時間をかけて育んていきます。
見た目にはほとんどわかりにくい障害や困難をかかえている人はどの時代にもいたはずだが、社会全体に余裕がなくなってしまった今、そういう人達がますます生きにくくなっている、と木村さんは言います。
確かに、競争社会の今は、障害あるなしに関わらずどんな人でも生きにくい時代です。
長い人生の中で途中で息切れして立ち止まる時は誰にでもあります。
そういう中で、誰かからの「大丈夫?」の一言でその疲れた人が、社会から後退することなく、
その場に踏みとどまることができれば、誰にとっても、もう少し余裕が生まれてくるのではないでしょうか。
木村さんは、立ち止まってしまいがちな若者をサポートするのは面倒な面もあるが、サポートする側にとってもコミュニケーションスキルアップになるはずと、地域や職場への呼びかけも始めておられます。
相手に分かってもらう工夫をすることで、見通しのよいコミュニケーションの空間が生まれ、お互いのコミュニケーションが活発になれば、そこに絆が生まれてきます。
絆は、一方通行では生まれません。
こちらから、むこうから、双方からの糸で紡いでいくのが絆です。
障害のある人もそうでない人も、それぞれの活動する境界線をボーダレスにすることで、
誰にとっても生きやすい社会が生まれてくるのかな、と思います。
インタビューをさせていただいている時に1人の青年が、手作りのカスタード入りトーストを作ってもってきてくれました。
なめらかなホイップクリームも添えられてとてもオシャレでとても美味しくいただきました!
ごちそう様でした! 手作りの温かいスイーツでほっこりしたインタビューの時間になりました。
おしゃれなスイーツでおもてなしとは、女の私でも気が
つくかどうか。勉強になりました。
有難うございました。。
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長かった冬もようやく遠くの山に去り、ネコヤナギの銀色のうぶ毛にも、谷をわたる風に心無しかきらめいて華やかさを感じます。
もうすぐ咲く桜の花の下を手を繋いで通る園児のその笑顔に柔らかな光が戯れ、はしゃぎ声が聞こえてきそうな季節がすぐそこまでやって来ています。
「遠くは霞み、野にはれんげ、たんぽぽ、空にはひばりがピーチクパーチクとやかましくさえずり、その陽気なこと————–」
私の大好きな落語の一節です。
さて、私どもマジックは昨年十月に、新社屋に引っ越しをいたしました。
ご存知の皆さんにはもう寄っていただいた方もあると思いますが、
まだお知らせが届いていないお客様に遅ればせながらご挨拶申し上げます。
私がオリジナルTシャツ屋を立上げてから早、二十三年も経ちました。
我が人生にとりましても、この決断は大きな節目になると思います。
私の最初の転機は三十歳のときでした。
創業した年です。
その年、勤めていた会社が倒産し、さらに肝炎に掛かってしまい入院を余儀なくすることになり、
親父からは独立なんてとんでもない、勉強も満足にできないおまえに、厳しい世間を相手にやっていける訳がない。
と見放されてしまいました・・・・私も自分自身に対してとても自慢出来る様な能力はないと思っていましたし、むしろ劣等感の方が強かった様に感じていました。
しかし、不思議なことになぜかこの仕事ならイケルという確信がありました。第六感てやつですかね?
今、思えば自分でも無謀だったかも知れないとおもいます。だって独立していきなり入院してしまったのですから・・・・・
まさに人生最悪どん底状況の時期でしたから。
しかし、反対を押し切って船出をしてしまったものですからもう後へは戻れません。
当時すでに幼い子供も二人いました。
それでも妻はこんな私の後押しをしてくれました。
近くの農協のスーパーのレジ打ちのバイトに出てくれました。
私も一人で営業廻りとオリジナルTシャツの製作しながらなんとか喰い繋いでいました。
ほとんど先は見えません。
しかし弱音を吐いても何一つ解決しません。
一生懸命取り組むしかないのです。
そんな中なんとかしなくてはという思いだけはあり、
とりあえず本屋さんに駆け込んで経営書らしきモノを買いあさっておりました。
その中には何十万もするナポレオンヒルの成功哲学とやらも購入しました。
金額は恥ずかしくて言えません。はっきり言って高かったです。
それまで勉強なんて大の苦手でした。
活字を見ていると眠たくなってしまいます。今もでもそうです。
しかしそんなことは言っておられません。考えつく事を片っ端からやってきました。
そんなあるとき「宝地図」に出会いました。
そして「宝地図」作り方セミナーという何ともいかがわしいモノに参加しました。
それはカレンダーの裏の白紙を使い、自分の写真を真ん中に貼り、自分の名前を入れ「泰蔵の宝地図」と書くのです。そしてその中に思いつくまま欲しいものモノの写真を貼ったり文字で書き込みました。
これが意外にも効果を発揮しました。
事実その宝地図に貼ったものが大方手に入りました。
何の根拠も無しに貼ってみたのに今思えば驚きです。
人は言葉よりイメージの方が格段に影響を受けるのだと言うことを実感した事例です。
皆さんもぜひ取り入れてみてはいかがでしょうか?
もしご興味が湧きましたら声をかけて下さい。
アドバイスさせていただきます。もちろんただです!
独立してそれから十年経った頃、やっと観音寺の山奥から豊岡の塩津町という所にお店だけですが構えることが出来ました。
それまで看板をあげてもイノシシやタヌキしか見てくれない山奥でしたからとても嬉しかったことは言うに及びません。
それからも少しづつではありますが順調に伸びて来ました。
しかし、それまで建て増しでしのいできた工場も使い勝手が悪く手狭となりどうしたものかと考えておりました。
そんなおり、三年前頃から月に一度の墓掃除をしておりました折、
ちょうど村内の不動産業をされている国谷さんがなぜかその日通りかかられ、
浅倉という処に勧めたい土地があるので一緒に見に行かないか?と誘って頂きました。
それは正に望んでいた物件でした。
しかし、どう考えても手持ちのお金にそんなに余裕はありません。
しばらくは悩みましたが、やがて決心しました。
すべては神の御心のまま、私に与えられた課題だと——–と。
でも私は唯神論者ではありません。
幾ばくかの元手をもとに銀行に掛け合うことにしました。
そしてだめなら即、諦めようと決めて交渉に当たりました。
ところが、それほどいい決算内容ではないにもかかわらずOKという返事をいただきました。
今考えると先祖の意思が導いてくれたように思えてなりません。
不思議なごことです。
今も私にとっては能力以上のことをやっているという思いは変わりません。
私一人の力だけでは到底やっていくことなどできません。
ですから社員、お客様、ご縁あるみんなさんの力を借りながら一致団結して行かねばという思いでいっぱいです。
この大きな節目に当たり何から始めたら良いかと言う事ですが、原点に帰って考えると、
先ずは私を育ててくれた両親に感謝することから始めたい。
それが私の絆づくりの原点だと思いました。
今では頭から反対しておりました親父も心の中では応援してくれているようです。
そんな親父が体の不調を訴えて五年ぐらいになるでしょうか?
現在は病院に入り浸りです。
肺気腫から始まり心臓病、糖尿病と重い病に倒れ再起不能といった状態です。
酸素ボンベを離すことが出来ず、息をすること、起あがる事さえ困難な状態が続いております。
そんな親父の姿を見て改めて強く思いました。
いつか人は必ず死ぬんだ。
そして、その間際に「いい人生だったなぁー」って言って最後を迎えたいという思いを————-。
私の親父は早くに父を亡くしました。
兄弟の多い親父はそれほど恵まれた人生ではなかったように思います。
一部の兄弟との間でもめ事が絶えなかったようです。
他の兄弟は家を放り出して華やかな都会へ出て行ってしまいました。
が、やがてその者たちは仕事に失敗してしまい泣きついてきました。
そんな兄弟の尻拭いをさせられるなんて到底納得出来ない。
そんなことを言ってよく愚痴をこぼしながらも面倒を見てきました。
親父は不満を抱えながらも山林と農業で盛りたててきました。
そういった自負もあり、初めはなかなか私の仕事を受け入れてもらえませんした。
しかし、何年か経った頃、作業場を増築してくれたりと親父なりにいろいろ気を揉んでくれるようになりました。
戦中戦後の激動の時代を生き抜いてきたたくましい親父の姿は今はありません。
世の中が移り変わり必要とされなくなってしまった己に自信を喪失し、打ちひしがれている姿を見るのは本当に忍びないものです。
この世の無情を感じずにはいられません。
人はいつまでたっても誰かから必要とされていると思えることがいかに大事かということを知りました。
だからこそ今、私が出来る事は今まで陰ながら応援してくれた親父に心から感謝する事だと思います。
自分がこの世に存在するのも両親のお陰ですからこの節目の時期に改めて伝えたいです。
「ありがとう親父、おふくろ」—–と。
新たな旅立ち号にもかかわらず重たい内容になってしまいましたが、
最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
最後に私どもの会社の経営理念をお伝えして皆様との絆が少しでも深まる事を祈念しながら閉じさせていただきたいと思います。
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暑かった夏も終わり、秋の気配を感じる様になりました。赤とんぼや朝夕の涼しさに季節の移り変わりを感じます。
第一号から半年たち、やっと手つかずのワクワク通信「絆のカタチ」を発行出来ました。
みなさんお変わりありませんか?
実は、私の父が長年煩っておりました病気がもとで先月他界しました。
約五年あまり闘病生活を続け最後はろうそくの炎が小さく消えて行く様に静かに息を引き取りました。
親父の生涯は戦争時代からテクノロジー全盛の現代に至までを経験し時代に翻弄された波瀾万丈の一生だったのかもしれません。
父の死を看取り思う事は、私もやがては年老いて一生を終える時が必ず訪れる、その時に何を思いながらあちらの世界に行くのだろう? また見送ってくれる人の記憶にはどのように残るんだろう?
これから先、折り返し地点をとっくに過ぎた私でも悔いの残らない人生にしたいと願っています。
そんな中、私にとって仕事とは・・・・? と言う命題を自分自身によく問いかけます。
エゴにまみれた私は、実力も無いのに出世するにはどんな仕事を選ぶべきか?
いい生活をするには商売をすればよいのか?・・・などとつい考えてしまいがちです。
他人の持っているものが羨ましくてしようがありません。
でも、ある人は言います。
『どんな職業に就くべきか?自分に合った天職とは何だろうかと・・・。
しかし、その前に、「どんな人間に成りたいかを考える方が先だろう」・・・と!』
今回身近な人の死に立ち会い以前にも増して思うことがあります。
人生最後の時を迎えて、「あぁ、いい人生だったなあ」と言って最後を閉じたいなぁ・・・と。
たった一度の人生です。
精一杯生きた証となる様な仕事が出来れば最高ですが、少なくともそれに立ち向かって行く様な人間にならねばと強く思います。
でも不安はありますよ、すごく。
私も小さな小さな会社を経営しているのですが、ここで働くスタッフのみんながより良い人生を送って欲しいと願っています。
その根本になるものが仕事に対する思いです。
その思いを書き出す事で自ら確認し、より良い人生に一歩でも近づけるのではないかと思いスタッフのみんなに書いてもらいました。
ではスタッフ自らの思いをご紹介致します。
トップバッターは営業部長の藤原の仕事に対する思いです。

近年インターネット環境が一般家庭にも普及する中で商品の価格競争もいっそう激化しております。
そんな中だからこそ商品の品質だけではなく、使われるシーンや、もたらす効果を考えた商品提案ができるよう日々勉強し、さらにそのバックボーンにあるお客様の満足度に焦点をあてた高付加価値営業を心がけています。
次は店長の鎌倉 謙です。

私の仕事は、MAGICへ来店される方々の注文を受ける受注業務が仕事です(プリントはしません。○○なので(笑))
特にチームの方(バスケ・バレー…etc)が「お揃いのウエアーを作りたい!!」などと言われ来店されます。
スタッフのみんなはとにかく頑張ってます。
私も負けてはおれません。
勉強をしなくてはと思い、先日読んだ本にすごく気付きのある一節があったのでご紹介したいと思います。
それは「小さな幸せに気付く24の物語」の中の 『筆箱』と言う題です。
お母さんが小学校時代に使っていた古い革製の筆箱でした。この筆箱を娘さんに上げる時にお母さんが、
「これはお母さんが小学校の時から大切に使っていた宝物なの・・・。これを買ってくれたお父さん、あなたのおじいさんは、お母さんが小学校のときに亡くなったの。お母さんは、これをお父さんの形見としてとても大切にしてたのよ。あなたが大切に使うならあげようか?」
と娘さんに話したそうです。
ある日、娘さんが使っていた筆箱がクラスで話題になりました。ある男の子が娘さんに、
「お前の筆箱、古いやないか、僕のはこんなやで」
と娘さんの筆箱をバカにしました。他の子も一緒になって娘さんの筆箱を指差してからかいました。そのとき、娘さんが、
「ねっ、古いでしょ! いいでしょ! これはお母さんが子供の頃から大切に使っていたんだって! おじいちゃんの形見なの。私も大事に使って、私の子供にもこれをあげるの」
と言ったそうです。周りの子供たちは一瞬シーンとなりました。しばらくして男の子たちが、
「ふーん、ええな」 と言ったそうです。
というお話です。・・・感動しました。
私たちはどうしても新しいもの、奇麗なものに目がいってしまいがちです。
でもそのモノの持っている意味だとか、思い入れにまで心が行きません。
古びて手あかの付いた筆箱でも思入れがあればまた大切に思う気持ちがあれば、価値あるものに生まれ変われるんですね。
私たちはモノづくりをするる仕事をしておりますが、つい大手メーカーとか有名ブランドには勝てないと思ってしまいます。
同じレベルのモノを作ることが出来ても、です。
このお話は新品でなくても、有名ブランドでなくても、奇麗でなくても、高性能でなくても、くたびれてても、また古くても新品以上に「いいなー、それ」って言ってもらえると言っています。
私たちも、モノづくりに対して、そこにもっと工夫することが大切だという事にあらためて気付かされました。
とは言ってもなかなか難しくてつい流されてしまう私ですが・・・
マジックらしさを目指して頑張りますので皆さんも応援宜しくお願い致します。
私ども「絆工房の掟」を今一度ご紹介致します。
一、仕事はわくわくしなければならない
一、仕事はアイデアに溢れていなくてはならない
一、仕事は楽しくなくてはならない
一、仕事はお駄賃ではなく、おひねりでなくてはならない
こういった信条をベースにプリントで絆づくりに邁進して行きたいと思います。
また、こちらの方へ来られる事がございましたらお立ち寄りください。
お茶しながら語りましょう。
以上
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皆さん、こんにちは。十一月も半ばに入りさすがに朝夕は冷え込んできましたね。
もうすぐ季節は冬です。いつの間にか・・・です。 日々、平々凡々と暮らしていても季節はやって来るんですね。
夏の蒸し暑い日の青空と冬の晴れ間に見上げる青空は宇宙に飛び出して見れば全く同じなんでしょうが、
そこに住む人にとっては世界が一変しているんですね。まるで劇場の回り舞台の様に・・ そんな風に世界が一変してしまうお話を見つけました。
我々がこれから進んで行く未来の世界を予感させるお話です・・・・・。
『むかし、むかし、ある処に誰も自分のことを“貧しい”と感じていない村がありました。
それはインド北部にあるラダックという村でした。そこは長い間、実質的に鎖国状態でした。
インド中央政府の手によって立ち入りが禁じられ、冬の気温がマイナス30度以下になる苛酷な環境ですから、
あえて住もうという人もいなかったんでしょう。標高何千メートルという高地で、岩と砂の砂漠です。
丈の低い草しか生えない。水も乏しい。カナダや日本の山のような、たっぷりと水をたたえた自然系ではありません。
そういう土地柄ではあるものの、外界から隔離されてきたことによってかえって個性的で豊かな文化が残されていました。
相互扶助のコミュニティが成り立っていて、みんなが助け合って働いて、みんなで食べていける。
そんな過酷な土地で得られたものは、みんなが充分食べられて、いくらか余るほど。余ったものは、近隣の村へ下りていって交換する。
「アルプスの少女ハイジ」というアニメの様におじいさんが乳しぼりをしてチーズを作って、ふもとの村でパンと交換したりして。
まさにああいう暮らしです。
そんな地に初めて記者がラダックを訪れたとき、家並みが立派で整っていることにも驚きました。
実際、素朴ではあるが3階建ての家もあります。
あまりにきれいだから、私たちの感覚からすると、どこでお金を稼いでいるんだと、つい思っちゃう。ところがそうじゃないんです。
建築技術は全ての家庭が持っていて、地元で採れる材料だけを使って建てるそうです。
自分で材料を採ってきて、自分の手で建てている。だからいくらでもいい家を建てられますよね。
記者は最初、あまりにも大きくてきれいな家ばかりだから、ある若者に「この村で一番貧しい家を見せてくれないか?」と訊きました。
すると彼はしばらく考え込んだのちに「いや、この村に貧しい家はない」と答えたそうです。
誰も自分のことを“貧しい”と感じていない社会、それがかつてのラダックだったのです。
ところが、開発によって西洋文明の波が入って短期間で文明と貨幣経済を知ってしまうと、
やがて、このように素晴らしい社会がこなごなに打ち砕くような事態が訪れます。
西洋から観光客を呼び込もうというので、インド政府が長年の立ち入り禁止を解除しました。
まず道路を引く。必要な建築物を建築する。
労働力が足りないから、村人は出稼ぎに駆り出されます。
でも麦を作らなくちゃ食べていけない。じゃあ食料は政府が配給しましょうと。
主に外国から買い付けたものを配給したり売ったりするんですが、村で作る小麦よりも輸入小麦のほうが安いんですね。
多くの(特に若い)村人たちは、働いて賃金をもらって、そのお金で小麦を買ったほうがいいと思ってしまう。
実際に、短期的にはそのほうがいい。楽だから・・・。
だから労働力はみんな村から出て行って、せっせと道路を作りました。
さて、観光客がわんさかやってきます。
初年度は一千人ぐらいだったのが、すぐに1万人、2万人と増えた。
そうすると今度はホテルも建つ。
それにつれていろんな西洋のものが入ってきて、テレビのCMやあちら風のドラマなんかも始まる。
1月24日
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こんにちは、今年も、もうすぐ梅雨の季節ですね。六ヶ月ぶりにお便りを差し上げます。
初夏を思わせる気温の高い日が時々ありますね。
世の中、新型インフルエンザもようやく沈静化してまいりましたが皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
先日私どもの仕入れ先の方からマスクを送って頂き、マスクが不足している事を気に掛けて頂き、本当にありがたい事だと感謝、感激しております。おかげさまで私どもは全員、風も引かずに元気です。
今回のインフルエンザの広がりを見ていると、その動きは口コミの広がりと同じだなぁ、と妙なところに感心してしまいました。
さて、今月から『のれん』をテーマに考えて行きたいと思います。
私のお客様であり、私のあこがれの兄貴【勝手に呼ばせて頂いている】
田岡 茂氏が経営されている山陰・城崎温泉旅館の「三國屋」さんについてお話しさせて頂きたいと思います。

旅館「三國屋」の田岡さんと知り合うきっかけは、私が二十年ほど前にさかのぼり、草テニス大会で顔を合わせたのがきっかけでした。趣味が取り持つ縁で声を掛けて頂きました。
それから現在まで約二十年間の永きに渡っていいお付き合いをさせて頂いております。
中でも私どもが仕事で「ヘリーハンセンブランド」でオリジナルユニフォームを展開したいと思い、
田岡さんにご相談をさせて頂いたら、快く引き受けていただき仕入れ先のお知り合いの方に、お手紙を書いて下さったり、いろいろお骨折りを頂き但馬地区特約店を結ぶことができました。
その時はまだ田岡さんとはそれほど親しくお付き合いさせて頂いていなかったのですが、
ご無理を快く引き受けて下さり、今でも感謝しております。
ですから私にとって面倒見のいい兄貴の様な存在です。 感謝です。

そんな田岡さんの三國屋に押し掛け取材と言いますかお話を聞かせて頂きに行って来ました。
先ず、城崎駅から歩いてほど近く玄関先には決して派手では無い人力車がさり気なく置かれている旅館が右手に見えます。

そこが今回ご紹介したい三國屋さんです。
以前からお客様を乗せて走られるのかなぁ・・・なんて思いながら眺めていました。
ひとつ寂しく感じていたことがあります。
玄関にのれんが掛かっていなことでした。それも田岡さんのこだわりなのでしょうか?!
すこし前になるのですが、旅行はあまりしない私でも、
あるCMを見た時、ぜひ一度は行ってみたいなーと思わせるような、とてもステキなステキな憧れの場所が映し出されました。
それは全日空の外国航路のCM、ニューヨーク、伝説のジャズクラブ。
映画の中でしか見た事のない何とも言えないあこがれの場所、
そこにいる自分を想像して、想いはいつのまにか一足先にジャズクラブに到着してしまいます。
いつかは、妻と、憧れの場所へいって見たいなぁ。
その映像とバックミュージックのフライミイートゥーザムーンがとても洒落ているんです。
僕なんかにとっては夢の世界ですね。
田岡さんの海外での商売のお話を伺っていると、そんな世界の映像が重なってしまいます。
長い外国生活を送られていたので英語も堪能でいらっしゃる田岡さんのところには外国のお客様も多い様です。
これからも田岡流の絆のカタチをたくさん見せて頂きたいと楽しみにしています。
そんなあこがれの兄貴、田岡さんの益々のご活躍をお祈りしながらとりとめのない私のレポートを閉じさせて頂きます。
今後も、私の独断と偏見に満ちた絆のカタチをお届け出来たらと思っていますので宜しく!
また、このような取材をご希望の方がございましたらご遠慮なくお知らせください。
私が出かけて行きお話をお伺いに寄せて頂きます。これも私どもの絆づくりの大事なライフワークですから!
お申し込みを楽しみにお待ちしております。
以上
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お久しぶりです。
一年ちょっと前にお届けしたきりで、本当にご無沙汰でした。
思い返せば昨年四月からいろんな、あり得ない嬉しい出来事とか出会いがありました。
その中でも一番はサプリフレという健康ウェア-でした。
それらの事柄には後ほど触れるとして早速、今月の絆のカタチ「のれん」をお届けしていきます。
前回は城崎の三國屋旅館さんでしたが、今回は神鍋下の十戸の寿楽庵さんです。
ここは昔ながらのそば屋さんです。
そばと言えばこの辺では城下町でもある出石町が有名ですね。
しかし、ここの寿楽庵さんもなかなかそばにはこだわりがあります。
そもそも、なぜ今回寿楽庵さんを取り上げたというと、先代の息子の和臣くんが後を継いで、決して条件のいい場所ではないにもかかわらず、頑張っている姿を見て思い立ちました。
最近は神鍋スキー場の雪も少なくレジャーとしてのスキー人気も影を潜めあまり芳しくありません。
とにかく観光客の入山数は激減していると聞いています。にも関わらず事業に奮闘しておられる様子を見るにつけ、
そこに親父さんとの深い絆を感じました。
残された家族、お母様と和臣くんと若嫁さんが、未来に希望を持ち夢に向かって力を合わせ頑張っている姿です。

また、若奥様に待望のお子さんが授かり喜びもひとしおだとは思いますが、当然ながらまだ乳飲み子を抱えて何かと手が掛かると思います。
そう言った中での仕事の苦労は察するに余りあるものがあります。
そんな中、和臣くんは新商品を開発しました。
それは「十戸清水の板蕎麦」です。
地元、十戸の隠れた名産のわさびと早朝まだ暗いうちから起き、手で石臼を回しそば粉をひき、仕込むという、たいそう気合いの入った新メニューです。
私も食しましたが、ワサビが冷たく引き締まった麺とあいまって極上の香りと歯ごたえがたまりません。
聞くところによると十戸には清水が滾々とわき出ていてその清水で育まれたワサビは高級料亭御用達とか、また和臣くんは言います。
その清水を使いそばを締めてはじめて自分の目指すそばになるのだと。
そのこだわりが沢山の常連さんを引きつけて止まないのだと思います。
先代のやり方とはまた違うでしょうが、違ってこそ受け継いだのれんに絆の息吹が吹き込まれるのでしょうね!
これからも和臣くんならではの創意工夫にあふれた逸品を食べさせてくれることを期待しています。
以上
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気がつけばもう師走。
一年が過ぎるのは本当に早いものですね。
皆さんに於かれましても慌ただしく日々を過ごされているのではないでしょうか。
ここにもワクワク通心「絆のカタチ」を送らねばと焦っている私がいます。
何事にも優先順位というものがありますね!
物事には重要なこと、そうでもない事、緊急を要する事と今すぐでなくても良いことがあります。
緊急なものでも重要ではないにもかかわらずどうもごっちゃになろうとします。
重要な仕事をやっているときに電話が掛かってきて、出てみたら内容の重要度が全然低かったりしたことは良くあるはなしです。
あなた様も気をつけて下さいね。
今月の絆のカタチは兵庫県日本海側の但馬の國の『神鍋白炭工房』を主宰する田沼光詞さんです。
田沼くんは現在44才で二児の父親。神鍋生まれ、神鍋育ちの「かんなべっ子」、彼の祖父も炭焼き名人だった。
親子三代に渡りこの但馬に根ざした炭師の誇りを言葉の端々から感じ取ることが出来る。
もちろんこの仕事に就くまでは紆余曲折はあった筈です。
しかし、田沼くんのDNAの中に受け継がれた炭師への思いがフツフツと沸き出してこの地で炭の仕事をさせているように思われます。
人生どんなに遠回りをしてもここに帰ってきてしまう、不思議な絆を感じました。
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その思いとは自然の中で育ち土地柄に根ざし、しかも地球に優しい、人に優しい、自らにも優しい(ちょっと厳しいかも)、
自分らしい本物の仕事として彼の中に定着した魂からほとばしる思いであると私は確信します。
そこには田沼くんらしい工夫も見られます。
今の時代に相応しい効率的な設備の導入したり、また時代が要求している温暖化ガスである二酸化炭素削減の対策にも合致している先見性。
一見、旧態依然の遠い過去に忘れられた仕事に見えるが、視点を変えればこれほど時代の最先端の仕事はないと思う。
時代は繰り返すとよく言ったものだ。
その性能は燃やす事をせずとも発揮できる機能は凄いものがある。少し披露してみよう。
遠赤外線効果・マイナスイオン(この2種類の機能については弊社のサプリフレウェアーにも使われている)他に水の浄化等々あるがその機能を使えば人間にやさしい環境(いやしろ地)を作る事が出来る。
人の生理機能はもとより精神にもとてもいいと、あの船井総研・船井幸雄も唱えている。
そんな仕事を父から受け継ぎ、更に自分なりにリストラクチャリングし頑張っている田沼くんの姿を親父さんは私に、
「笠原さん、聞いてくれ・・・」と嬉しそうに、また誇らしそうに話してくれた。
その笑顔がとても微笑ましくもあった。 田沼くんも親父の背中をしっかり見て学んで来たに違いない。
祖父との絆、親子の絆がしっかりと作られていることを感じました。
またその絆が彼の子に受け継がれて行くことでしょう。その時代に応じたカタチで!
東洋思想家の田口佳史氏が説く教えの中に「仁義礼智」がある。
田沼くんの「炭焼きで地球を救う」という高い志は「仁」に等しく、多くの人の幸せを願う思いは惻隠の心から発するものであろう。
それは誰しも既に持ち合わせているはず。
しかし、多くの人は気づかずその心が発揮されていない。
炭師の田沼くんには、当に仁のこころが感じられる。
また田口氏の説く親孝行とは、「親が自慢できる子供に育つこと」、とある。
そういった意味でもお父さんの笑顔を見ていると光詞くんは立派な孝行息子である。
既に多くのマスコミにも取り上げられて話題となっているようだ。
益々今後の活躍に期待がかかる。
フレーフレー!田沼炭師。及ばずながら私も田沼くんのファンの一人である。
以上
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やっと正月気分の抜けた頃、大雪です。 みなさんの処はいかがですか?
近年降ってなかったですからね〜。
私の家はそれは山奥です。神鍋に上がる途中左に逸れた谷間の奥に入った村の一番奥です。
たまに除雪車が来るのが遅くなると孤立状態です。 雪と格闘の日がしばらくは続くかな・・・
今号の「のれん」紹介は養父市養父市場の平山牛舗というこだわりの但馬牛を真心込めて商売しておられるお店の紹介です。
但馬の地に於いて契約農家から牛を買い付け一頭丸ごと自社にてさばいて販売しています。
昭和五年から八十年以上続く但馬の中でも老舗と言っていいと思います。
現社長・平山敏明さんは三代目と言うこと、先代の後ろ姿をみて育ち今この店をしょって立っています。
敏明さんの人柄は人当たりが良くまじめに仕事に取り組む姿勢は当に信頼の言葉がぴったりとよく似合います。
食品に関わる仕事はミートホープ事件にもありましたように、信頼という軸が本当に求められている時代ですね。

そんな敏明さんに寄り添うように尽くしてこられた奥様の久美子さんをご紹介したいと思います。
25才で久美子さんは隣街の出石町から嫁いでこられました。
ご主人との縁でこの家業を手伝うことになったのですが、そのころはまだ牛肉が苦手で食べられ無かったとのこと、信じられないですよね!
牛肉屋さんに嫁ぐ人が牛肉が食べられ無いんですから・・・、しかし今はそんなことは無いとのことです。
ホームページの中の紹介にも、嫁いで来て本物の但馬牛を食べたとたん本物の肉の旨味と言うものが解った、と書いておられます。
それまでどんな肉を食べてたんでしょうねえ(笑)
私も時々買って帰りますが牛肉本来の何とも言えない香ばしい様な懐かしい味がし、美味しく頂いております。
焼き肉はもちろん、すき焼き・肉じゃがなんかが僕は好きです。
奥様の久美子さんは言います。
お客様とのコミュニケーションにはすごくこだわり、真心と誠実さを持って応対し、常に明るく楽しくお買い物をして頂きたいと・・・
自分の舌を信じ本当に美味しいと思えるモノだけをお薦めしたい。

お客様から、「美味しかったよ」の一言が聞きたくて全てがあるとの事。
そんな久美子さんからお聞きしたエピソードのご紹介です。
ある時、老夫婦が来店されました。
ご主人がひどく痩せた奥様をかばうように付き添いやってこられ、そしてレバー肉をお買い求めになられました。
その訳をお聞きすると「平山さんのレバーを食べて元気を出したいから」とのこと、お見かけするにとてもお身体が不自由な様子。
にもかかわらずわざわざ私の店に足を運んで下さったと聞き、本当に嬉しく思い、感激してお礼のお手紙を書いたとのこと。
お話をしながら元気を頂いたのは私の方でした。と語る久美子さんの笑顔にはお客様との絆をしっかり築かれてるなぁと感じさせられるモノでした。
ご主人の敏明さんも業務用肉卸の仕事をメインにされて各取引先との絆も、
決して派手では無いが真心を込めた商いの中で築いて来られたご様子。
スタッフを大事にされる久美子さんと二人三脚のこの平山牛舗の深紅の『のれん』には暖かい思いと盤石な絆を感じました。
今日、田舎の小さな街ですがこの様な本物の経営こそが求められる時代に成っていると思います。
お忙しい中、取材に快くご対応頂きありがとうございました。感謝! 益々のご繁栄を祈念しております。
以上
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この取材は3月7日に行いました。
その4日後に東日本大震災という歴史に大きな出来事として残るような悲しい出来事が起きてしまいました。
16年前の阪神淡路震災と比べても被災規模が数段上です。
私たちはここから何を学ばなければならないのでしょうか?
今までの価値観が大きく変わっていくであろう事は想像できますが・・・
今回の震災に於いて不幸にも被災されました。ひょっとしてわれわれがそういう立場だったらどうしただろう?・・・
被災されました方々に心よりお見舞い申し上げると共に、深い学びを得る機会を与えて頂いたことに感謝を致したいと思います。
そんな中、3月末には今期の経営計画発表会を来賓の方々を迎え執り行う事が出来ました。
私ども20期を迎え新たなステージに踏み出して行こうと決意を新たにしているところです。

今号の訪問先はこだわりの栃餅を製造販売されている神鍋に上る途中の日高町十戸の高砂屋製菓様です。
高砂屋さんは創業八十年という業歴がありビックリしました。
二代目の現・藤原正行社長が先代から23才で受け継ぎ40年余り、
三代目の息子さんの正利くんが現在一緒に手伝い頑張っておられます。
現社長の正行さんも受け継いだときには料理菓子を作っており、当時結婚式には欠かせない必需品であったとのこと。
しかし、時代とともに結婚式もだんだんと様変わりをしてきて、ニーズが変わってしまい、現在の栃餅と言う商品を開発されたという。 なぜ栃餅かというと、一言では云えない物語があり、中でもこの栃の実を供給して頂いている生産農家さんとの出会いがあったから。
とお話頂きました。
いわゆるこの出会いも大切な絆として現在も繋がっているとのことです。

ではご主人から、栃餅に対する思いを語って頂きましたのでご紹介しましょう。
栃の実を餅と併せて作るのですが、その栃の質と量に於いて守り通しているこだわりの量があると云う。
栃を薄めて作ると沢山作る事は出来るが味が落ちて美味しくない。そういった栃餅はちまたに出ていることは知っている。
栃の実が一滴でも入っておれば栃餅と言うことが出来てしまうのですが、私の処ではそれは許されない。
お客様が許しても私が許さない。と・・・
それはお客様との約束だから・・・約束とは言っても藤原社長が独断で決めた約束ですが・・・
その目に見えない信頼を大事に育てて行くことがお客さんとの絆づくりだ。と藤原社長は言い切りました。
また、店を大きくするより本物の味を守り通すのが自分の使命だと、明快でありながら愚直なまでの志がそこには感じ取ることが出来、これから先も高砂屋・栃餅ファンとして居させて欲しいと思いました。
また、息子の正利くんにも親譲りのフロンティア魂の片鱗が見て取れます。
それはお店の前の国道をはさんで向かい側に『石窯pizzaOISHI~NO』ピザの店を2年前にオープンしました。
親父さんにも似た所があり味にはこだわりが在るとのこと。
商工会の仲間との出会いも大きなきっかけとなったという。
今では、そんな絆で繋がった仲間も積極的に店作りに関わってくれている。
お忙しい中快くご対応頂きありがとうございました。
ありがとうございました!
益々のご繁栄を祈念しております。
以上
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