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昇華プリント専門|オリジナルウェア・ユニフォーム制作|絆工房

【人ー企業ー地域を結ぶのはやはり人との縁】No. 32 画流有限会社 代表取締役清 水寛様

 

画流清水

縁が縁を呼び、いつしか人の縁で成長してきたという画流有限会社。
ウェブデザイン事業、ITコンサル事業はもちろんのこと、但馬の特選素材を産地直送する但馬地域に特化したネットショップ “あるまま”や但馬情報発信事業の運営を手がける清水さんの会社は、言わば、但馬版Yahooサイト。

「財産は人の縁」と言う他称イベントプロデューサー清水さんに話しを伺います。

■『人の縁だけで会社が成長してきました』

絆工房と画流清水さん

15年前に画流有限会社を設立。


ー笠原 「会社を設立したきっかけは何ですか?」

ー清水さん「人との絆、言いかえるなら人の縁だけでこの会社は成長してきました。仕事も従業員の採用も全て縁。
うちは100%縁故採用です(笑)。
会社を設立する前は公務員でした。もちろん充実した公務員時代でしたし、そこで世間というのを知ることも出来ました。ただ、行政という枠から外での経験やネットワークをもっと広げたいと思い会社を立ち上げました。
この会社で15年間で得たものが、そのまま公務員として15年を過ごして果たして得られたか、と考えた時に、やはり得がたいものがありますね。」


そして、2年前から商工会と連携した「まちゼミ」、「日高バル&スイーツ」、「てtoてtoマーケット」等のイベント企画にも参画。
但馬空港フェスティバルや地域振興事業等など数多くのイベントに携わり、公務員時代から培った企画力、立案力、運営力で、少人数スタッフでスピーディにイベントを運営。

 

■イベント成功のカギは“人”

絆工房と画流清水さん

ー笠原 「ずばり、イベントを成功させる秘訣とは?」 

ー清水 「記録に残るものをイベントに残し、次のイベントに生かそうとする姿勢です。次のイベントが円滑に運営していくためにはどうすればいいのか、それを常に繰り返し考えていくことです。

“今回のイベントではトラブルが起こらなかったから今後も何も起こらないだろう”と備えを怠るのはダメ
後手に回らない為に入念に準備をし、運営のマニュアル化を徹底すること。ただ、イベントの裏方で大事なのは意見をいい合える仲間。
そう考えるとやはり人に尽きますね。
スタッフ自身が楽しんでいるかどうか、それがイベントを成功させるカギにもなります。楽しくなければそこには学びもないですからね。
社員にも攻めの姿勢で自分達が仕事を楽しむよう常に言っています。
ゼロベースで考えて携わった人と、引き継いだ人とは明らかに経験の幅が違いますから、やるんだったら1から徹底的にやることです。」

 

■地に足をつけたローカル化を

画流

社名のルーツである『我流』。

常識に囚われず何事もチャレンジすることで、発想の幅が広がっていくという清水さん。

ー清水さん「積極的に異業種と交わって幅広い情報をキャッチすることです。情報には、本物と偽物とがありますから、正しい情報を見極めることも大事です。じゃあ、情報って何か?やはりそれも人。地域の情報というのは、結局、誰が、どこで、どんなことをしているのか?といういうことになります。」

ー笠原 「これから会社が目指す方向性とは?」

ー清水さん「最近は、ローカルVSグローバルと二極化現象が起こっていますが、完全に地に足をつけて活動できるのがローカルの強み。但馬で事業する意味は、そこにあります。それを極めたい。そして、但馬にあるこの会社を通じて様々な人や物が集まり、それぞれが目的地へ広がっていくような会社にしたいですね。ハブ空港のようなね。」


ローカルあってのグローバル。

人ー企業ー地域を結ぶのはやはり人との縁、絆を再確認した取材となりました。

 

以上

地に足をつけたローカル企業を目指すイベントプロデューサー

地に足をつけたローカル企業を目指すイベントプロデューサー

画流有限会社 代表取締役

清 水 寛 様


 

縁が縁を呼び、いつしか人の縁で成長してきたという画流有限会社。

ウェブデザイン事業、ITコンサル事業はもちろんのこと、

但馬の特選素材を産地直送する但馬地域に特化したネットショップ  “あるまま”や 但馬情報発信事業の運営を手がける清水さんの会社は、言わば、但馬版Yahooサイト。

「財産は人の縁」と言う他称イベントプロデューサー清水さんに話しを伺います。

 

15年前に画流有限会社を設立。

ー会社を設立したきっかけは何ですか?

 

「人との絆、言いかえるなら人の縁だけでこの会社は成長してきました。仕事も従業員の採用も全て縁。うちは100%縁故採用です(笑)。会社を設立する前は公務員でした。もちろん充実した公務員時代でしたし、そこで世間というのを知ることも出来ました。ただ、行政という枠から外での経験やネットワークをもっと広げたいと思い会社を立ち上げました。この会社で15年間で得たものが、そのまま公務員として15年を過ごして果たして得られたか、と考えた時に、やはり得がたいものがありますね。」

 

そして、2年前から商工会と連携した「まちゼミ」、「日高バル&スイーツ」、

「てtoてtoマーケット」等のイベント企画にも参画。

但馬空港フェスティバルや地域振興事業等など数多くのイベントに携わり、

公務員時代から培った企画力、立案力、運営力で、少人数スタッフでスピーディにイベントを運営。

 


 

■ イベント成功のカギは“人” 

ーずばり、イベントを成功させる秘訣とは?

「記録に残るものをイベントに残し、次のイベントに生かそうとする姿勢です。次のイベントが円滑に運営していくためにはどうすればいいのか、それを常に繰り返し考えていくことです。“今回のイベントではトラブルが起こらなかったから今後も何も起こらないだろう”と備えを怠るのはダメです。後手に回らない為に入念に準備をし、運営のマニュアル化を徹底すること。

ただ、イベントの裏方で大事なのは意見をいい合える仲間。そう考えるとやはり人に尽きますね。スタッフ自身が楽しんでいるかどうか、それがイベントを成功させるカギにもなります。楽しくなければそこには学びもないですからね。社員にも攻めの姿勢で自分達が仕事を楽しむよう常に言っています。ゼロベースで考えて携わった人と、引き継いだ人とは明らかに経験の幅が違いますから、やるんだったら1から徹底的にやることです。」

 


 

■ 地に足をつけたローカル化

社名のルーツである『我流』。常識に囚われず何事もチャレンジすることで

発想の幅が広がっていくという清水さん。

 

「積極的に異業種と交わって幅広い情報をキャッチすることです。情報には、本物と偽物とがありますから、正しい情報を見極めることも大事です。じゃあ、情報って何か?やはりそれも人。地域の情報というのは、結局、誰が、どこで、どんなことをしているのか?ということになります。」

 

ーこれから会社が目指す方向性とは?

 

「最近は、ローカルVSグローバルと二極化現象が起こっていますが、完全に地に足をつけて活動できるのがローカルの強み。但馬で事業する意味は、そこにあります。それを極めたい。そして、但馬にあるこの会社を通じて様々な人や物が集まり、それぞれが目的地へ広がっていくような会社にしたいですね。ハブ空港のようなね。」

 

ローカルあってのグローバル。

人ー企業ー地域を結ぶのはやはり人との縁、絆を再確認した取材となりました。


今回のニューズレターを読んでいただいた方からの声が届きました♩

ご紹介します。

絆工房御中

笠原様

 今回も楽しく読ませていただきました。

ちょっと驚きました。

意外や意外、清水くん初めてでしたっけ?

 この年末に、オオトリで登場ですね。

 もうすっかりおなじみですよね、彼のことは。

これからもいろいろ彼に教わりながら進んでいこうと思います。

そして「あるまま」でもこれまで以上にお世話になろうと。

 しかし、IT関連の仕事を生業としてる彼は仕事とは真逆で、とっても人間くさいですよね。

本当に繋がりというものを大事にされてる彼だと思います。

 あと、彼に教わった中でいちばんの言葉は「やるかやらないか、だよ」

という言葉です。

 今年も残すところあとわずかですが、お体には気を付けてお過ごしください。

今回も勉強になりました。ありがとうございました。

 ☆☆☆(有)河西ふとん店☆☆☆

〒669-5305

兵庫県豊岡市日高町祢布998

tel0796-42-5228/fax0796-42-5102

kawanishi998@hera.eonet.ne.jp

代表取締役 河西 栄治


 

【関連記事】

過去の絆のカタチインタビューはこちら

 

【お金よりも“有難う“を集めたい】No.31朝日新聞サービスアンカーASA日高西村英治所長 

大学卒業後大阪で就職。父親の病気をきっかけで31才で帰郷。
『戻ってきたばかりの頃は、携帯に入っている地元の友達の登録件数はたった3人だった』と笑う西村所長が、故郷で働くことを通して、どう地域との絆を築いていったのかを伺いました。

■ 新聞を届けるだけの存在からの脱却

絆工房と朝日新聞サービスアンカーASA日高西村 英治

ー西村さん「新聞販売店の主な収益は、配達、折り込みチラシ作業、集金の3本柱で成り立っています。父の後を引き継いた頃は、新聞業務だけをするつもりでした。しかし、仕事をするうちに、また、笠原さんの主催するおひねり勉強会に参加するうちに、もしかして、新聞販売店って新聞業務だけでなく他にもやれる事があるんじゃないか?と思うようになりました。」

34才で正式に所長に就任。

ー西村さん「所長に就任した時は、仕事を“お金もうけ”の手段としてしか捉えていませんでした。もちろんそれも大事な事ですが、何でもできるということに気づいてからは、新聞配達業務以外の事業も手掛けてみようと思ったんです。仕事を“お金もうけ”から“地元の人に喜んでもらうきっかけづくり”という視点に変わった瞬間でした。」

—笠原 「具体的にはどういったことをされたのですか?」

ー西村さん「暮らしに役立つクーポンチラシの“あさまるクーポン”や日高広報誌『HIDAKA EMOTION』の発行、そして、“まごころサポート”等です。まごころサポートでは、“床下に狸がいる”、“旅行中、配達の時に猫に餌をやってもらえないか?”といったリクエストがあります。
毎日のちょっとした困ったこと、こんなサービスがあったらいいな、をお手伝いさせていただいております。」

地元に小さなハッピーを!

絆工房と朝日新聞サービスアンカーASA日高西村 英治

新聞販売店のイメージ戦略にも取り組んだ西村所長。

一般的に磨りガラスの向うの薄暗い作業場で黙々と折り込み作業を男性がしているといったイメージが強い新聞販売店。しかし、江原新聞販売店は、明るい日差しが差し込む窓際にずらりと並ぶスタンドライトがトレードマークのお店。人が集まるような販売店にしたかったという言葉通り、店内は、一見すると喫茶店のようなレイアウト。
実際、「お茶飲める?」と喫茶店と間違って入ってこられた人もいたそうです。

「気軽にお茶を飲んでもらうような憩いの場所にすることこそ僕の目指すところです。」

西村さんを含む男性スタッフ2人の他に2年前から女性スタッフも採用。
スタッフTシャツ制作のためにお打ち合わせにも以前来社して下さった女性スタッフのお二人。

オリジナルユニフォーム作成商談

ー西村さん「そりゃあ、むさ苦しいおじさんより若い女性に集金してくれる方がいいでしょ!新聞のイメージを良くするのも悪くするのも、新聞社というよりも私達新聞販売店です。
新聞販売店のCSR(企業の社会的責任)を意識しないといけません。新聞を届けるだけの存在から脱却することが必要です。
まごころサポートをしていると、利益とは別に“有難う。助かったわ。これ持って帰りんせ~”と畑でとれた手作りの野菜などの差し入れをよくいただきますが、地元の人達からの喜びの声を聞くと、新聞業務以外のこともやってきて良かったのかなと思っています。
お金よりもこの“有難う”をもっと集めようと思っています。今後も、こういった“小さなハッピー”を提供するコミュニティービジネスを重視していきたいですね。
これからは『仕組みと仕掛けづくり』といった事業化が大切になってきます。売り上げはこういった現場の仕掛けづくりの上で生まれた付加価値の中から生まれてくるのではないでしょうか。」

 

■ IT vs 新聞は本当か?

絆工房と朝日新聞サービスアンカーASA日高西村 英治

地元の人の絆を大切にして仕事への付加価値を追求し続けていこうする西村所長。

—笠原 「最近は、生まれながらにITに親しんでいるデジタル・ネイティブ世代が増えてきていますが、この世代の活字離れは本当に起こっているんですか?また西村さんにとって新聞とは何ですか?」

ー西村さん 「新聞はもはや40才以上のシニア層の嗜好品です。活字離れというよりは、紙離れは確かに起こっています。ただ、決して若い人が新聞に興味がなくなったというとそうではありません。
先日、地元の小学校に朝日小学生新聞を無償で提供したところ“新聞ってこんなに面白いんだ!”って言った子供達がいるんです。新聞は事件を追うものではなくなってきています。電子ペーパーやスマートニュースの誕生で新聞はインターネットに駆逐されるのではないかと言われているんですが、私は新聞の未来は明るいと思っていますので地域を知り尽くした新聞販売店が地域に根ざすコミュニティーボックスになれたらと思っています。」

【絆のカタチ】 新聞販売店のイメージ脱却を図る若き所長

【絆のカタチ】 新聞販売店のイメージ脱却を図る若き所長

    朝日新聞サービスアンカーASA江原 まるにし 西村 英治 様

 


 

大学卒業後大阪で就職。父親の病気をきっかけで31才で帰郷。

『戻ってきたばかりの頃は、携帯に入っている地元の友達の登録件数はたった3人だった』

と笑う西村所長が故郷で働くことを通して、どう地域との絆を築いていったのかを伺いました。

 

 

■ 新聞を届けるだけの存在からの脱却

 

「新聞販売店の主な仕事は、配達、折り込みチラシ作業、集金の3本柱で成り立っています。

父の後を引き継いた頃は、新聞業務だけをするつもりでした。しかし、仕事をするうちに、

また、笠原さんの主催するおひねり勉強会に参加するうちに、もしかして、新聞販売店って新聞業務だけで

なく他にもやれる事があるんじゃないか?と思うようになりました。」

 

34才で正式に所長に就任。

「所長に就任した時は、仕事を“お金もうけ”の手段としてしか捉えていませんでした。

もちろんそれも大事な事ですが、何でもできるということに気づいてからは、

新聞業務以外の事業も手掛けてみようと思ったんです。

仕事を“お金もうけ”から“地元の人に喜んでもらうきっかけづくり”という視点に変わった

瞬間でした。」

—具体的にはどういったことをされたのですか?

 

「日高産こしひかり米の宅配販売や北海道の特産品の販売、暮らしに役立つクーポンチラシの

“あさまるクーポン”や日高町の暮らしを伝える広報誌『Hidaka Emotion』の発行、

そして、“まごころサポート”等です。

まごころサポートでは、“床下に狸がいるので何とかして”、“旅行中、配達の時に猫に餌をやって

もらえないか?”といったリクエストがあります。

毎日のちょっとした困ったこと、こんなサービスがあったらいいな、を

お手伝いさせていただいております。」

 


 

■ 日高町に小さなハッピーを!

 

新聞販売店のイメージ戦略にも取り組んだ西村所長。

一般的に磨りガラスの向うの薄暗い作業場で黙々と折り込み作業を男性がしているといったイメージが強い新聞販売店。
しかし、ASA江原まるにしは、明るい日差しが差し込む窓際にずらりと並ぶアンティークランプがトレードマークのお店。

人が集まるような販売店にしたかったという言葉通り、店内は、一見すると喫茶店のようなレイアウト。
実際、「お茶飲める?」と喫茶店と間違って入ってこられた人もいたそうです。

「気軽にお茶を飲んでもらうような憩いの場所にすることこそ僕の目指すところです。」

 

西村さんを含む男性スタッフ2人の他に2年前から女性スタッフも採用。

「そりゃあ、むさ苦しいおじさんより若い女性が接客してくれる方がいいでしょ!

新聞のイメージを良くするのも悪くするのも、新聞社というよりも私達新聞販売店です。

新聞販売店のCSR(企業の社会的責任)を意識しないといけません。新聞を届けるだけの存在から脱却することが必要です。まごころサポートをしていると、ご利用料金とは別に“有難う。

助かったわ。これ持って帰りんせ”と畑でとれた手作りの野菜などの差し入れをよくいただきま

すが、地元の人達からの喜びの声を聞くと、新聞業務以外のこともやってきて良かったのかなと

思っています。

お金よりもこの“有難う”をもっと集めようと思っています。今後も、こういった

“小さなハッピー”を提供するコミュニティービジネスを重視していきたいですね。

 

これからは既存事業の枠を超えた『仕組みと仕掛けづくり』といった事業化が大切になってきます。

売り上げはこういった現場の仕掛けづくりの上で生まれた付加価値の中から生まれてくるのでは

ないでしょうか。」

 

■ IT VS 新聞は本当か?

 

地元の人の絆を大切にして仕事への付加価値を追求し続けていこうする西村所長。

—最近は、生まれながらにITに親しんでいるデジタル・ネイティブ世代が増えてきていますが、

この世代の活字離れは本当に起こっているんですか?また西村さんにとって新聞とは何ですか?

 

「新聞はもはや40才以上のミドル、

シニア層の嗜好品です。活字離れという

よりは、紙離れは確かに起こっていま

す。ただ、決して若い人が新聞に興味

がなくなったというとそうではありま

せん。先日、地元の小学校に朝日小学生

新聞を教材として無償で提供したところ

“新聞ってこんなに面白いんだ!”って

言った子供達が沢山いるんです。

 

新聞は事件を追うものではなくなってきています。電子ペーパーやスマートニュースの誕生で

新聞はインターネットに駆逐されるのではないかと言われているんですが、私は新聞の未来は

まだまだ明るいと思っています。配達網、集金網、営業網というネットワークを持ち、地域を

知り尽くした新聞販売店が地域に根ざすコミュニティーボックスを築く拠点になれたらと思って

います。」

 


ニューズレターを読んでいただいておられる方からコメントが届きましたので

ご紹介させていただきます♪

いつもご丁寧に有難うございます。

もう風邪は治られましたでしょうか? どうぞご自愛下さい。

絆工房御中
笠原様

今回も楽しく読ませていただきました。
いろいろ活動されてるんですね。
大学との連携プロジェクトもすごいですね。
さすがの一言です。

少しでも近づけたら、などと、、、とんでもない(^_^;)すみません!!!

今回の絆のカタチですが、
よく知ってる顔ですから。。。

同じ「えいじ」でも大いに違う彼。
まちゼミから商工会からいろいろと活動を同じくさせていただいていますが、
本当に刺激になる彼です。

これからも彼には要注目ですね。

今回もいい勉強をさせていただきました。
ありがとうございました。

※昨日のおひねりはすみませんでした。。。さすがに風邪には勝てませんでした<(_ _)>

☆☆☆(有)河西ふとん店☆☆☆
〒669-5305
兵庫県豊岡市日高町祢布998
tel0796-42-5228/fax0796-42-5102
kawanishi998@hera.eonet.ne.jp
代表取締役 河西 栄治


 

【関連記事】

過去の絆のカタチインタビュー
ニューズレター 絆のカタチ

 

 

2015/10/15

【絆のカタチ】No30 三尾商店の漁師さん前田保様

No30 三尾商店の漁師さん前田 保様

故郷を捨てた男が今、故郷の再生のために立ち上がる

日本海の荒々しい白波が打ち寄せる断崖に囲まれた小集落、兵庫県新温泉町三尾地区。

平家落人伝説の地の1つとしてもあげられる農山漁村で脱サラして漁師として生きる

前田保様に故郷に寄せる心の絆を伺いました。

 

生き馬の目を抜く東京に15才で上京

絆工房と三尾商店 前田保様

下荒洞門や世界最大級の洞門、釣鐘洞門をはじめ日本海の荒波によって侵食されて出きた

数多くの洞窟、洞門、奇岩がパノラマビューで楽しめる但馬御火浦(たじまみほのうら)。

そこにある小さな集落、三尾地区。

景色の素晴らしさ、新鮮な魚介類といった海から恩恵を受ける一方で、冬場の大波や爆弾低気圧の被害を受けてきた地域でもあります。

そんな自然と常に対峙している故郷で育った前田さん。
外の世界を見たいという思いで中学卒業と同時に上京。

時代は大都市への人口流入がピークの高度成長期時代。
東京オリンピックが開催された年のことでした。

「生き馬の目を抜く東京なんて人の住むところじゃない。それでも行こうとするならお前は死んだものと思う。」

小学1年で父を亡くし、いわば父親代わりで育ててくれた祖父の言葉を背に東京池袋の自動車関連の町工場に就職。

そこは夜になると三味線の音色が聞こえ、ネオンきらめく歓楽街。
見るもの全てが故郷三尾とは全く違う生活環境。
ふるさとの親や家族と離れた東京での生活は、思いの外15才の少年には辛いものでした。

そして、上京したその年のお盆に帰省。
その時に、それまで一度も参加したことなかった村の盆踊りにはじめて参加。
そこで感じたことは、「ああ、ふるさとって何ていいもんなんだ。」

東京に戻る日に感じた郷愁感は、今もしっかりと心に留めておられます。

しかし、“これからは自動車の時代。絶対潰れない。”と中学の先生が進めてくれた会社が不良品を多数出し、入社してわずか1年足らずで倒産。
その後は、高校に通いながら住み込みの新聞配達、和歌山あった製鉄会社で働き、昭和44年に帰郷。
翌年から電電公社(現NTT)で32年間のサラリーマン生活がスタートします。


山陰海岸ジオパーク認定ー“過疎化を食い止める突破口に”


サラリーマンとして再び故郷三尾地区で生活をスタートさせた前田さんでしたが、時代と共に三尾も人口流出が否応なく進んでいきます。

限界集落とは言わないまでも、社会的共同生活の維持が大変になってくるのを目の当たりにします。

「三尾の人はとにかく働き者。女の人も腰が曲がってしまうほどよう働きますよ。そうやって皆が必死に生きてきました。過疎化、高齢化の進む故郷で、自分には何ができるか?そう考えた時に、三尾でこれからも生きていくには海の潮水を体に浴びて生きてきた父と祖父と同じ漁師になろう。」

そして、32年間のサラリーマン生活に終止符を打ち54才で漁師に転向。

若い時、故郷を捨てた前田さんが、地域の活性化を推進する但馬御火浦村おこしグループにも参加。

平成22年山陰海岸ジオパークが世界ジオパークネットワーク(GGN)への加盟が認定されたのを機に、積極的に三尾という町の自立と活性化に携わりはじめます。


「三尾には海がある」

絆工房と三尾商店 前田保様

かっては100軒いた三尾地区も現在は 60軒足らず。
また、近年の漁獲量減少と漁師の高齢化、後継者不足も深刻化。

どうしたら何もない三尾に若者を呼び寄せることができるのか?

 

昔、今の若者と同じように故郷を去った前田さんに相談にくる人に対して言うことはいつも


「三尾は何もないところじゃない。三尾には海があるじゃないか。」

例えば、わかめ。澄んだ海水と荒波の中で育った三尾の天然わかめは歯ごたえ抜群。
歯ごたえがある分、酢の物といった脇役に甘んじることなく、しゃぶしゃぶ、水炊きといった主役のおかずにもなれる三尾の天然わかめ。
そして、近年は珍しくなったその天然わかめを瞬間冷凍することで一年中風味があるわかめを販売することに成功。

前田さん自ら店長も務める村で唯一の生活雑貨店「三尾商店」でも売られています。


SNSで情報発信

更に多くの人に三尾の魚を知ってもらおうとFACEBOOKを活用。          
ほぼ毎日、採れたて鮮魚の写真を投稿。

「釣った魚はすぐに組合を通して競りにかけてしまうのですが、それでも沢山の人に三尾の魚を知ってもらいたいと写真を撮って投稿しています。」  

また、美しい三尾の海を堪能しながら磯釣りが楽しめる渡し船(前田渡船)も運航。

二度とふるさとには帰らないと心に決めて都会に出た少年時代。

しかし、外に出て初めて三尾の良さに気づき戻ってきました。
そして、若い頃には見えなかった故郷との絆を形に、それを伝えるツールを活用して情報発信。

マクドもゲームセンターもない地域でもその魅力を発見し形にし、そして伝えていくことで、

あたらしい三尾の未来を創ろうと日々忙しい前田さんです。

                               


【この記事を読まれたお客様からの声】

(株)絆工房 笠原 泰蔵 さん

残暑お見舞い申し上げます。ウッチーで~す。
そちらも酷暑でしょう。今日・明日から夏季休暇に入られることでしょう。

さて、「絆のカタチ」30号をお届け頂きありがとうございました。
ますます垢抜けてきて、記事の立体感がたかまりましたね。

なかでも三尾の前田さんインタビューが注目でしたね。
ただ、記事全体のフォントがあまりに小さいので、読みきれませんが・・・。

また秋に向かって頑張ってください。
当方もへこたれていませんよ!  

<笠原です>

お世話になります。
お返事ありがとうございます。
フォントが小さくてすみませんでした。
感想をいただけると励みになります。

内池先生もお身体ご自愛して頂きお元気でお過ごしください。
先生は元気でしたね!
小さな親切、大きなお世話でしたね(*^_^*)

————————————————————————————–

絆工房御中
笠原様

いつも絆通信ありがとうございます。
今回の前田さんはfbでその様子を少し見させていただいておりましたが、
やはり奥が深いですよね。そのお元気な、さらには活発な行動には本当に頭が下がる思いです。
僕も24年ほど前、もう帰っては来ないだろうと思いながら福岡へ行った記憶があります。
でもこうやって帰ってきて生きてる、生かされてる、ということはやはり故郷のありがたみかな、と。
福岡に居たらもう沈没?埋没?していたのかも知れませんから。。。(笑)
これからもっともっとここの良さを発見してさらに発展させられたら、、、と僕なりに思います。

またひとつ勉強になりました。ありがとうございました。

(有)河西ふとん店 代表取締役 河西 栄治様より

<笠原です>

お世話になります。
お便り有難う。

いろいろ河西くんにもストーリーがあるんですね。
それが糧になるといいですね!


 

【お祭り娘 x I LOVE スタバマグ x 小山理論】No. 29道の駅『神鍋高原』様

「錦織圭選手と同じユニクロPOLOにしたら売り上げがあがった♪」という真っ赤なスタッフTシャツを着て現れた3名の道の駅「神鍋高原」スタッフ。

 

ー笠原 「皆さんの人生で起こった絆お聞かせ下さい。」
 
まずは、イベントや広報担当の川辺麻紀さん。

 

絆工房と道の駅「神鍋高原」


終始笑顔で、いるだけで周りの人を明るくさせるタイプの女性。
前職の介護の仕事や、観光客を含めて年間多くの人が訪れる道の駅のような接客業では川辺さんのような笑顔は欠かせません。

ー川辺さん「離れて住んでいる弟が帰省する時とか、友達とのつきあいで絆を感じますね。仕事は大変ですが、お祭りやイベントを企画するのは楽しいです!」

イベントでMCも務めるお祭り娘。
最近おりたたみ自転車ダホンを購入。
「歩くことが大好き。」という川辺さんは近いうちにダホンに乗って神鍋高原をサイクリングするのを楽しみにしているそうです。

 

絆工房と道の駅「神鍋高原」

 次に2年近く道の駅に隣接するゆとろぎ温泉で働き、現在は道の駅、飲食部門で店長を務める小西健太さん。

ー小西さん「仕事の幅が広がって充実してますが、、、僕は、家族とか友達との絆っていうのはあんまり、、、、。僕は、1人が好きなんです、、、。」

「何かあるだろう!」と他の2人に突っ込まれても、動じることなく、「あんまり。ないですね、、、、。」
ある意味インタビューしがいのある小西さん。

 

しびれをきらして「じゃあ僕いきます!」と上田直義駅長。

 

絆工房と道の駅「神鍋高原」


香住奥佐津生まれ、小学4年の時に神戸須磨区に引っ越し。
その1年後に阪神淡路大震災に遭遇。
地震直後に家から外に飛び出して目に飛び込んできた光景を見て、「戦争が起こった。」

幸いにも、神戸でも山側に家があったので家族や知人、同級生で亡くなった人はいませんでした。

 

■ 震災を経験して見えてきた、見えない人の絆

 

−上田さん「神戸で暮らした2年間は、常に僕の人生の心の中心にあります。被災後すぐに自衛隊やボランティアの人からの物資の支援や、”がんばろうKOBE”のスローガンで住民自らも立ち上がりました。
復興していく中で、色んな場面で見えない人の絆を痛感しました。あの震災を体験したからこそ、今生きている有り難さを感じます。」 

 上田さんの前職は建築会社。
−上田さん「造形が好きなので建築の仕事は楽しかったですよ。細かな規定が多い行政建築を担当してからは、更に責任とやりがいを感じましたが、途中からお酒大好きな上司のお目付役も会社から任されたんですよね。最後は、その上司と共同生活も頼まれてしまって、こちらが先にダウンして辞めました(笑)。」

 旅行が好きで、求職中も色んな場所の道の駅を訪れていたという上田さん。
ちょうど「神鍋高原」道の駅の募集を知り応募したのが7年前。 

「地元の人達と一緒になって新しい文化を取り入れていこう!」 と、お酒大好き上司がいない職場で駅長として忙しい毎日。

 

■ 負けない法則を確立できれば、勝ちはコントロールできる!小西理論

 

絆工房と道の駅「神鍋高原」

ー笠原 「皆さんのこれからの夢を聞かせて下さい。」

ー川辺さん「ダホンに乗っておでかけ!」

ー上田さん「バックパッカーで世界旅行! 僕はスターバックスのマグカップを集めるのが趣味なんですが、日本だけでなく世界のスタバの限定マグカップを揃えてみたいですね!」

さて、プライベートが見えてこない孤独を愛する小西さんはというと?


実は、話しをしていくうちに1人でも出来るパチンコ(スロット)が好き、ということが判明。
トータルで損をしていないそうです。

ー上田さん「パチンコは奥が深いんですよ。要は、確率の問題。その確率というのは、実はコントロールできるんですよね、、。」


「できるんか??!!」皆が驚きの表情を浮かべていると、
ー上田さん「パチンコは、話せば長い奥の深いものなんです、、。やっていると、パターンが見えてくるんですよね、、。」


「見えるんか??!!」皆に矢継ぎ早に質問されるても冷静に確率論を展開する小西さん。

完全確率を理解しているかどうか。
確率ゲームであるパチンコもその確率や統計に沿ってやっていれば勝てる、と。
日常生活でも確率論は溢れています。
降水確率、当選確率、合格率。それと本質的には同じだそう。

「ということは、その小西理論の本質を仕事に転用させたら、レストランの人気メニューが見えてくるはず!」と半ば強引に結論づける他のスタッフ。


「そうでしょうか、、、、。」と乾いた笑いをする小西さんに、上田さんが、
スタッフはどんどんやってみたことのないことにチャレンジしたらいいと思う。体験しないと見えてこないものや分からないことがある。例えば、色んな場所に行って、伝統工芸、建築物から昔の人の鋭い感性を学んでいくこと。大事だと思う。それを仕事にエンターテイメントさせていこう!

個性豊かな道の駅「神鍋高原」の若手スタッフ。


今年28日に開催されるキャベツ祭りでは、ダホンに乗って忙しく動き回る川辺さん、ライブ感を大切にする上田さんの姿、そして小西理論に基づいたメニューが登場する(?)かも知れません。

 

以上

【絆のカタチ】No28アメリカ西海岸の匂いのするカスタムカー制作会社ナイスドリーム 今井様 

絆工房とナイスドリーム

絆工房とナイスドリーム

アメリカ西海岸の匂いのするカスタムカー制作会社

株式会社 ナイスドリーム 今井 慶様


今回の気になる会社の絆のカタチを聞く取材先は、

但東町にある株式会社ナイスドリーム。

 

会社の敷地には、キャデラック等の外車が所狭しと並んでいます。

もちろん日本車もあります。何だかアメリカの雰囲気がする会社。

「アメリカという国が大好きなんです。それもアメリカ西海岸。

アメリカの車も好きで、小さい時はプラモデルをよく作ってましたが、

目立つ車が好きで、それがアメ車だったんです。」

列車か自動車で分かれるも、男の子なら誰もが通るプラモデル作り。

今井さんは自動車派。

最初のお給料で買ったのも300万円もするアメリカGMの屋台骨であるシボレー、

カプリスワゴン。

低燃費、小回りの利く軽自動車が人気の現代で、それに真っ向から対峙する大排気量、

ローライダーの大型ボディー。

 

■この会社を立ち上げた理由を教えて下さい。

 

絆工房とナイスドリーム

 

「小さい頃から”早く独立したい”、 ”色んな世界を見てみたい”という思いが強かったので

これまで色んな仕事に就きました。

23才の時には、大阪枚方市でショットバーのお店を開業しました。

大阪外大が近くにあったので、多くの留学生がお店に通ってくれました。」

そして、4年後の27才の時に、但東町でナイスドリームの前身である

インスピレーションを設立。

たった一人でアメリカまで車の買いつけにも行かれました。

「でも、いくらショットバーで留学生と英語でコミュニケーションしていた

経験があったとはいえ、やはり無謀でした(笑)。」

 

終始、静かに話しをする今井さんの行動力(大胆さ?)に驚きです。

 

■ ナイスドリームってどんな会社ですか?

 

お客様の個性を追求できる会社、一人一人の個性を車で表現できます。

出回っている汎用品は使いたくありません。手間暇かけて一から創り上げたいです。」

 

苦労もありました。内装の貼り替えや、ヘッドライト、テールライトのデザインまでもカスタマイズ。

「以前は、何から何までお客様に合わそうとしていましたが、

次第に何かちょっと違うな、と思うようになりました。

こうした方がよりお客様の個性が出せる車が出来るという場合もありますからね。

それに気付いてからは、自分の世界観をもっと出していこうと思いました。」

 

■ 自分の世界観で勝負を賭ける若きメカニック・ビルダー

 

絆工房とナイスドリーム

ー具体的に何かされていることがあれば教えて下さい。

「”自分のしつらえで勝負して、ナイスドリームの世界観をもっと広めたい”という

思いが強くなって、現在会社のHPを含むプロモーションビデオを作っているところです!」

今井さんのエネルギーの核は、なんといってもアメリカ西海岸の匂いがする雰囲気の中で

オリジナルカスタムカーを作る会社であること。

普通の車屋さんとは一線を画します。

そして、そのモデルロールとなっている会社が、

同じく西海岸のカリフォルニアにあるWest Coast Customs (ウェストコーストカスタムズ)。

最初は、自宅のガレージからスタートし、今や世界的に有名になったカスタムカー制作会社です。

「彼らは、自分達のことをビルダーと呼んでいます。その点も共感できるところです。」

確かに、手間暇かけて一から創り上げて車をカスタマイズしていこうとする

今井さんにとっては、ビルダーの方がしっくりくる呼び名です。

 

 

最後に、事務所に流れている音楽は、2Pacというヒップホップ。
「2Pac (トゥパック)が大好きなんです。」

世界中のあらゆる人種から絶大な支持を受けているラッパーで、

1991年デビューし、わずかその5年後、25才で銃弾で亡くなった伝説的ラッパー。

多くの名言も残し、今なおファンが増え続けています。

彼の残した数多くの名言の一つ「生きているうちは、決して夢見ることを止めるな。

誰もお前の夢を奪い去ることはできない。」

日本の但東町の静かな山あいの里にあるナイスドリームは、

アメリカンドリームに向かって歩んでいこうとする要注目会社です。

絆工房とナイスドリーム

 

〒668-0351
兵庫県豊岡市但東町畑山971
TEL 0796-20- 4049
FAX 0796-20-3148株式会社
ナイスドリーム

 

 

 

 

ニューズレター発送後、早速FAXとメールでうれしい便りが届きましたので

ご紹介します。

 

絆工房御中
笠原様

いつもいろいろお世話になっております。
ありがとうございます。

今号の絆のカタチ、今井君。

そういえばずいぶんと会ってないです。
というより僕が「おひねり」に行けてないだけですね・・・。

彼を知りたかった僕には本当にタイムリーでした。
いつも遠いのにおひねりに来られる彼をすごいと思ってました。(密かに・・・)
何が彼をそこまで突き動かすのか?
彼の姿勢ってのは何からくるのか?
その答えが全部書いてありましたね。
「夢」ですね。

以前笠原会長とお話しさせていただいた中に、やはり「怒り」ってパワーはすごいですよね、

それがきっかけだったりする、とありました。
多分起業された時の笠原会長も、そのように当時のエピソードを語られたように記憶しています。
僕も近年同じ思いで僕なりに動いていますが、
彼は違うんですね。

彼が何か違うと思っていたのはそこですね。
「夢」でそれを叶えようと。。。

またひとつ勉強になりました。
ありがとうございました。

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ニューズレター 絆のカタチ

 

2015/04/30

【絆のカタチ】孤独と壁をつきやぶれ!No.27置き薬きくや豊岡下田明浩様

きくや豊岡

 

今回お話しを伺うのは、神鍋万場で置き薬業の仕事をされている下田明浩様。
韓国や中国では四千年以上も愛用されている漢方薬の高麗人参を取り扱っておられます。

笠原会長の主催する月二回のおひねり勉強会の常連メンバーの一人。
絆工房と同様下田様も、2ヶ月に一回お客様にニューズレターを発行されておられるそうです。

■トップセールスマンからの独立

神鍋の万場生まれのUターンの下田様。
置き薬の会社を設立するまではコンピューター会社の営業マン。

転勤族で、東京、名古屋、大阪といった都会で働き、1994年、35歳の時に家を継ぐため生まれ故郷の万場に帰郷。

ー下田さん「でも、田舎ではコンピューターの営業は需要がないですから、田舎で出来る仕事を探しました。」 

たまたま友達の紹介で、 ”一年間営業成績がトップだったら、のれん分けして豊岡で販売してもいい。”という大阪の置き薬の会社に転職。
泉北ニュータウンという難しい営業地域を割り当てられましたが、「負けず嫌いの性分」で1年間、
常にトップの営業成績をキープ。

そして、1年後の平成15年、地元で置き薬、きくや豊岡を開業。

絆工房と置き薬きくや下田様



ー笠原 「トップセールスマンのご主人が田舎に戻って事業すると言われた時はどうでしたか?」ご主人の片腕となって精力的に事業を手伝っておられる奥様にも伺いました。
ー奥様「反対よりも賛成でした。地元の人と深くつきあえるのが魅力でしたから。でも、この仕事は人に仕える仕事ですし、地味な仕事でもあります。とても人格が鍛えられましたね。」

■ 経営には、孤独と壁がつきもの

絆のカタチで話しをうかがう会社や組織を経営される方からよく耳にするのが、
『経営は大変』という言葉。

下田さんも独立して1年目の平成16年に起きた台風23号による水害に見舞われました。

ー下田さん「損害も損害、大損害。倉庫に保管している薬が水没し全部使いモノにならなくなりました。あの時は本当に困りました。」

また、同僚が大勢いる社員という立場から一人で営業から販売までこなす立場は、肉体的なことよりも精神的に大変だそうです。

ー下田さん「モチベーションの維持が課題でしたね。大阪にいた頃は、私の他にも50人近くの営業マンがいましたから共に戦えましたし、例えば”あいつにだけは負けたくない。”といったトップセールスマンとしての意地が明確にありました。けれども、田舎で一人で事業をしていると、”今日は雪も降っているし寒いから早めに帰ろう。”って思う時もあるんですよね。
高いモチベーションを持ちながら仕事をしていく苦労はありますね。情報収集のために沢山のセミナーにも参加しました。かなりお金をつぎ込みましたよ(笑)。ですから笠原会長が近くで無料のおひねり経営勉強会を開いていただいて本当に感謝しております。」 


経営者としての悩みを共有できる仲間達にも出会え、また薬箱を通じて一生涯、家族のような絆を作ることができる仕事にやりがいを感じておられるそうです。

開業5年目にはお客様と行くバスツアーを企画し、23人のお客様と一緒に丹波篠山日帰り旅行をされました。
また、趣味の自転車で色んな場所を走りそのことをニューズレターに掲載すると、以前は話題をこちらからふっていたのが、お客様の方から尋ねてくれるようになったそうです。

 



更に、ガーデニングの得意な奥様は、毎年春に開催される『とよおかオープンガーデン』に参加。
長年愛情を注いだ家の庭を一般公開。
半鐘ズル、姫シャラといった控え目で奥ゆかしさを感じる山野草が中心の小川の流れる下田様の庭。
人気の庭の一つだそうです。

 

絆工房と置き薬きくや下田様
絆工房と置き薬ガーデン



ー奥様「オープンガーデンをやり始めたのも、お客様との垣根をとりたい、家族的なお付き合いをしたい、という想いがあったんです。遠方からも見に来られた人が珍しい山野草を見つけて感動されている姿をみると本当に嬉しいですね。たまに朝カーテンを開けると知らない人が庭におられるというハプニングもありますが(笑)」。 


ニューズレターを通して、またガーデニングを通してコミュニケーションの場を作ってお客様との絆を育んでおられる下田様。控えめで、それでいてその力強さで人を魅了する山野草のようなご夫婦でした。

〒669ー5378 兵庫県豊岡市日高町万場334
きくや豊岡

 

【創業30周年感謝を込めて】No.26(株)絆工房 会長笠原 泰藏

今年(2015年)、絆工房は創業30周年を迎えます。
今月の『絆のカタチ』は満を持して会社創設者笠原泰藏会長が登場。
30周年を迎えた想い、そして、これからの夢を語っていただきます。

 

■起業に必要なものは、反骨精神

 

 

多くの若者が起業するIT時代。
資本金0円からでも会社設立できる時代に、時代の波に飲み込まれることなく、会社を継続していく事は会社を起こすより難しいと言われています。

ー会社を起こそうとしたきっかけは何ですか? 


ー笠原「特別大きな志を持ってというわけではないです。20代に大病をした上に、就職した会社が倒産。それなら自分で会社を起こそうと親父に言うと『一つ、商売はそんな甘いもんじゃない、一つ、お前には無理、一つ、世間をなめとんか。それよりも立派な百姓になれ!』と反対。立派な百姓って何やねんそれって話だよ(笑)。」

それでも、自分の夢を描いた未来地図に[会社を設立する]が入っていたため、借金からの会社設立スタート。



ー笠原 「起業するのに大事なことは、不安よりも怒りや反骨精神が大事。」

これは、LEDでノーベル賞を受賞した中村修二氏もスピーチで
「怒りだ。それが全てのモチベーションを生み出す。」と言っています。

若い頃、画家になりたかった(これも「画家では飯は食えん。」と親が反対)という絵の巧さを仕事に活かして会社設立当初は、自らTシャツの柄をデザイン。
会社が成長した今、絵のDNAをしっかり受け継いでいるお嬢さんも当社専属デザイナーとして活躍。

自身はさらに経営に集中。

 

■ オリジナルTシャツ作りは絆づくり 

 

 

絆工房は、オリジナルTシャツプリント制作会社。

ー笠原「Tシャツはもちろん作るけれども、その先にそれを買ったお客さんがそのTシャツを着てどれほど幸せな気持ちになれたか、お揃いのオリジナルユニフォームを着て晴れの舞台に仲間と絆を深く築いてもらえたか、そこがこの会社の目指す到着点。商品を売って終わりじゃなくて、その先が本番。」 

だから、お客さんが喜んでくれた結果としての報酬は有難いものであり、多くの報酬があることは恥ずべきものではない、と言う持論の持ち主。

ー笠原 「商売の感動、充実感は、お金が手に入った時ではなく、お客さんが喜んでくれた時、人のために自分の仕事が役に立てたと感じられた時である。そして感動は多ければ多いほど幸せな人生であり、だからこそ「仕事は嫌々歯を食いしばるってするのではなく、心から仕事を楽しまないといけない。そしてそんな会社で絆工房はあり続けたい。会社を大きくするのは、副産物に過ぎない。」

 

■ 臨終を習って他事を習う

 

若い頃の会長笠原は自己否定型。

大阪で就職した時も責任のあるような仕事は自分には無理、と仕事から逃げていたそう。
また、人前には出たくないタイプだったそうで、それは今でも変わらず人前でのスピーチは苦手。

しかし、[会社を設立して独立すること]であった第二の人生を歩んで今年で30年。

絆工房



「将来は、何か新しい事に取り組んで第三の人生を歩みたい。」と、未来地図で描いた夢に向けて第3の人生を構想中。
 
ー笠原「僕の人生の大きな目標は、人生最後の臨終の時に「ああ、いい人生だったな」って思える人生を送ること。そう思えるようになるためには、そこに立って今何をすべきか考えてみると、自ずと今すべきことが見えるくるんだよね。だから遊びも、趣味のテニスも、一生懸命やる。それは、仕事においても同じ。失敗は誰でもあるからそれは構わない、ただ、しなければいけないことを適当に流したり、うやむやにしておくのはダメ。」 


人生の限られた時間の中で仕事が占める時間は大きく、同じ時間を過ごすなら仕事を”作業”として捉えるのでなく楽しいものにしようと、またそうあるべきと考えています。多種多様なスタッフが集まって、真に楽しく仕事をするために、『社員のコントロールの放棄』と『徹底した情報開示』を掲げています。

「感動や幸福感、心の豊かさの追求の結果として儲けて会社を成長させていくことが使命なのかな、と思う。」
熱く語る絆伝道師、会長笠原でした! 

  

【ここをコミュニケーションの場にしてほしい】 No.25ログリゾートかんなべオーナー 今村則子様 

ログリゾートかんなべ

ログリゾートかんなべ

 

神鍋高原中部に位置するブランコのある「ログリゾートかんなべ」
ログハウスの周りに咲いた花々がさわやかな秋風に揺れています。

オーナーの今村様と絆工房との出会いは約3年前に遡ります。
元絆スタッフであった藤原さんにひまわりのタペストリーの製作を依頼したのがきっかけ。
その後、豊岡市商工会が主催する経営者対象のおひねり経営勉強会「本当に楽しんで儲けることができる方法がある ワクワク系マーケティングから学ぶ」(講師は笠原支部長)という広告に目が留まり「楽して儲けられるなんて!」と即参加。
結果、「もう〜楽などころか苦しいやん!(笑)」。
とてもお話しが上手なので、ペンションオーナーに至るまでの経緯を伺ったところ、納得の笑顔、納得の会話力の理由が判明しました!

■”大阪で美人の所長がいる店舗”と評判になったトップセールス・ウーマン

絆工房とログリゾートかんなべ

3人姉妹の末っ子でお嬢様としてのんびり育った今村さん。
お姉さん達が経営するブティックを手伝うという道もありましたが、何かもっと違うことがしたいと学校卒業間近の2月に就職活動を開始し、大手製薬会社の採用試験を受験。

見事、一番で合格し、女性の花形職種である受付嬢として働きます。
その後結婚し、主婦として母として忙しい日々を送っていましたが、三十二歳の時に大手保険会社に就職。
そこで持ち前の明るさと巧みな話術で人を惹きつけ、あっという間にトップセールス・ウーマン。

店舗一つを任されるまでになり、「大阪で美人所長がいる店舗」と評判になります。
57歳の時には、営業職から若手の教育指導を担当。
「10年は1つの会社で働いてみること」
「何でもトップになってみようという心意気が大事」
「人の三倍は働くこと(時間ではなく)」
「人がしていること以上のことをしてみること」等、長年トップセールス・ウーマンとして走り続けて培った自信に満ちた言葉の数々は、仕事以外にも通じる格言です。

 ”トップセールスマンには、共通の言動なり習慣がある”と言われることがありますが、弁舌さわやかに話す今村さんもまさに、引きの営業力を知ってる方です。

「保険の話なんてしなくても契約はとれます。」ときっぱり。
それは、売り上げにならなくても顧客のためにさらには顧客の周りにいる人にも何ができるか、何が喜んでくれるかを常に考えて仕事をされたそうです。

前回のヘルメース上田社長さんの「仕事は自分でつくりだすもの、動くもの」に通じるものがあります。

■カナダ産ログハウスに溶け込む日本の絵画 

絆工房とログリゾートかんなべ

12年前に前オーナーから引き継いだ『ログリゾートかんなべ』は、オールカナダ産の木で作られたログハウス。
広々としたリビングで一際目を引くのが横に延びた太い柱。
その見事なカービングの技は、今はもう日本には100人ほどしかいない宮大工さんが作られたそうです。

また、ログハウスの随所に飾ってある絵画は今村さんの自作。
「1つのことに10年は続けてみる」という言葉通り、学生時代から日本画を学び、今も指導を受けている絵画は、趣味を越えたものです。四季折々の花々を和紙に描かれたということで、ログハウス全体がしっとりした落ち着いた雰囲気に包まれています。

絵画の他にも、ゴルフ、書道、ガーデニング、陶芸、ジャズ、全て10年以上続けておられるそうで、それらが今村さんの人生を色鮮やかにかつ活動的にしています。

絆工房とログリゾートかんなべ

■「遊ぶことだけの人生は送りたくない」


保険会社を定年退職した後は、今村さんの家族は悠々自適の生活を送ると思っていたそうですが、それを見事に裏切ってのペンション経営。
住み慣れた大阪から単身神鍋に移住します。
「家族には事後報告!だって遊ぶだけの人生を過ごしたくないわ。」
「40代の時に、”21世紀の私”という夢を書いたんです。その時にホテル経営って書いたの。ホテルではないけれど、ペンション経営しているんだから、何だか不思議よね。経営に、趣味の活動に忙しいけれど楽しいわ。」 

1日5組ほどの少ないお客様との絆を大切にしている『ログリゾートかんなべ』。

「ここをコミュニケーションの場にしてほしい」と言われるように、自然との絆、仲間との絆を大切にしています。
人が多い都会から来られたお客さんにゆったりとした時間をここ神鍋で過ごしてもらいたいと、あえて客数を少なくしています。
ピアノもあり、プロ並みの歌唱力を持つ今村さんのジャズが聴けるかも知れません。
神鍋の自然を背景に、但馬牛のバーベキューを楽しめるウッドデッキもあります。

絆工房とログリゾートかんなべ


『ログリゾートかんなべ』で仲間との会話はもちろん、軽快なテンポで話しをされる美人オーナー今村さんの会話も楽しんでみて下さい。
取材日も、今村さんの話術に吸い込まれるように聞き入ってしまい取材時間が大幅にオーバー。
それでも、「もう終わり?まだ話したいのに。」

ここは、都会の人だけでなく、訪れる人皆さんの心も体も元気にしてくれます。