会長笠原
皆さん、こんにちは。十一月も半ばに入りさすがに朝夕は冷え込んできましたね。
もうすぐ季節は冬です。いつの間にか・・・です。 日々、平々凡々と暮らしていても季節はやって来るんですね。
 夏の蒸し暑い日の青空と冬の晴れ間に見上げる青空は宇宙に飛び出して見れば全く同じなんでしょうが、
そこに住む人にとっては世界が一変しているんですね。まるで劇場の回り舞台の様に・・ そんな風に世界が一変してしまうお話を見つけました。
 我々がこれから進んで行く未来の世界を予感させるお話です・・・・・。 

『むかし、むかし、ある処に誰も自分のことを“貧しい”と感じていない村がありました。
それはインド北部にあるラダックという村でした。そこは長い間、実質的に鎖国状態でした。
インド中央政府の手によって立ち入りが禁じられ、冬の気温がマイナス30度以下になる苛酷な環境ですから、
あえて住もうという人もいなかったんでしょう。標高何千メートルという高地で、岩と砂の砂漠です。
丈の低い草しか生えない。水も乏しい。カナダや日本の山のような、たっぷりと水をたたえた自然系ではありません。
 そういう土地柄ではあるものの、外界から隔離されてきたことによってかえって個性的で豊かな文化が残されていました。
相互扶助のコミュニティが成り立っていて、みんなが助け合って働いて、みんなで食べていける。
そんな過酷な土地で得られたものは、みんなが充分食べられて、いくらか余るほど。余ったものは、近隣の村へ下りていって交換する。

「アルプスの少女ハイジ」というアニメの様におじいさんが乳しぼりをしてチーズを作って、ふもとの村でパンと交換したりして。
まさにああいう暮らしです。

そんな地に初めて記者がラダックを訪れたとき、家並みが立派で整っていることにも驚きました。
実際、素朴ではあるが3階建ての家もあります。
あまりにきれいだから、私たちの感覚からすると、どこでお金を稼いでいるんだと、つい思っちゃう。ところがそうじゃないんです。

建築技術は全ての家庭が持っていて、地元で採れる材料だけを使って建てるそうです。
自分で材料を採ってきて、自分の手で建てている。だからいくらでもいい家を建てられますよね。
 記者は最初、あまりにも大きくてきれいな家ばかりだから、ある若者に「この村で一番貧しい家を見せてくれないか?」と訊きました。
すると彼はしばらく考え込んだのちに「いや、この村に貧しい家はない」と答えたそうです。
 誰も自分のことを“貧しい”と感じていない社会、それがかつてのラダックだったのです。
 ところが、開発によって西洋文明の波が入って短期間で文明と貨幣経済を知ってしまうと、
やがて、このように素晴らしい社会がこなごなに打ち砕くような事態が訪れます。
 西洋から観光客を呼び込もうというので、インド政府が長年の立ち入り禁止を解除しました。
まず道路を引く。必要な建築物を建築する。 
労働力が足りないから、村人は出稼ぎに駆り出されます。
でも麦を作らなくちゃ食べていけない。じゃあ食料は政府が配給しましょうと。
主に外国から買い付けたものを配給したり売ったりするんですが、村で作る小麦よりも輸入小麦のほうが安いんですね。
多くの(特に若い)村人たちは、働いて賃金をもらって、そのお金で小麦を買ったほうがいいと思ってしまう。

実際に、短期的にはそのほうがいい。楽だから・・・。
だから労働力はみんな村から出て行って、せっせと道路を作りました。
 さて、観光客がわんさかやってきます。
初年度は一千人ぐらいだったのが、すぐに1万人、2万人と増えた。
そうすると今度はホテルも建つ。
それにつれていろんな西洋のものが入ってきて、テレビのCMやあちら風のドラマなんかも始まる。
1月24日