【絆のカタチ】No. 61『北極は僕の生き方、人生そのものです』犬ぞり極地探検家の山﨑哲秀様
世界初の5大陸最高峰登頂者、世界初の犬ぞり単独北極点到達成功者、世界初のマッキンリー冬期単独登頂成功、そしてその成功直後消息が途絶えた冒険家といば・・・植村直己氏。
今回の取材は、
その彼の著書「青春を山にかけて」を高校生の時に出会い、進むべき人生が決まったという犬ぞり山﨑哲秀さん。
このニューズレターは、絆工房で商品を作られたお客様がモノを通してより心豊かな社会実現のために取り組んでおられる活動を取材させていただいています。
1年の半分を、北極・南極で観測調査を行う山﨑さん。
このニューズレターを手に取られる場所は、北極。
ニューズレターが創刊依頼初の海を渡る取材となりました。
どんな絆ストーリーが聞けるか楽しみです。
ー笠原 「一般社団法人”アバンナット北極プロジェクト”、通称アバンナットTシャツ制作のご依頼、いつも有難うございます。世界を股にかけておられる山﨑さんのご活躍、本当に素晴らしいものがあります。
TVやメディアでもご活躍が報道されてますね。」
ー山﨑さん「メディア出演後絆工房で作っていただいているアバンナットTシャツの注文が殺到しました。
こちらこそ絆工房様には急な対応をしていただきまして有難うございました。」
ー笠原 「そもそも、当社をどうお知りになったのですか?」
ー山﨑さん 「今の私の生き方に大きく影響した人が植村直己さんでした。
植村さんが兵庫県豊岡市日高町であることを知っておりました。
一般社団法人アバンナット北極プロジェクトのオリジナルTシャツをどこで作ろうかと調べていくうちに同じ日高町にある絆工房を知りました。これはもう御社で頼むしかないと。」
ー笠原 「なるほど、そうでしたか。日高町から世界初、日本初の偉業を次々と打ち出した植村さんを私たちも誇りに思っています。彼のマッキンリーの登頂の映像ご覧になりましたか?その時は山﨑さんは何歳だったのですか?」
ー山﨑さん 「高校生の時でした。
あのニュースは本当に衝撃が走ったのを覚えています。
すぐさま本屋に行って植村さんの「青春を山にかけて」を買って一気に読みました。
その頃の僕は、このまま周囲に流されて大学進学するべきかどうか迷っていた時だったのですが、
この本に出会って、”よし!僕も冒険家になろう!”と。
高校卒業して植村さんが最初にした冒険、アマゾンのいがだ下りをする為ペルーに渡りました。」
ー笠原 「進むべき方向性がすぐに決まったということですね。それにしても早い決断と行動力ですね。
うまく行きましたか?」
ー山﨑さん「いえ、見事に転覆しました!(笑)怖さを知らないからこそ出来たことです。
経験を積むと逆に足がすくんでしまいます。」
次に向かったのは北極。 21歳の時。
島の約80%以上が氷床と万年雪に覆われているというグリーンランド最北の村シオラパルク。
この村は日本人として初めて足を踏み入れたのも植村直己さんだそうです。
山﨑さんの職場となっている土地です。現在、ここで北極域観測調査とエスキモー式の犬ぞり技術や狩猟技術といった伝統文化の継承に携わっておられます。
ー笠原 「2回目の冒険はどうでしたか?私たちからは北極の暮らしは想像もつかないのですが、どんな感じですか?」
ー山﨑さん「最初のアマゾンと違って、ある程度は準備して行きました。
それでも本当に厳しい自然環境での生活は、全く日本の常識や価値観だけでは歯が立ちませんでした。
寒さ一つにとっても、北極はマイナス30度、日本の防寒着だけでとても防寒対策したとは言えない厳しさ。
エスキモーたちが着ているアザラシ、トナカイなどの毛皮を着ました。
彼らからは本当に色んなことを伝授してもらいましたね。
この村でもパイオニアの植村さんの功績はすごいものがあります。」
植村さんは現地の人と同じように生活し、同じような食事をし、絆を築かれました。
ー山﨑さん「私は植村さんが切り開いてくれた道を後から歩いたに過ぎません。
エスキモーの皆さんは、シャイでどことなく日本人に似たところがあります。彼らは外国人に対して特に欧米人に対しては最初からフレンドリーではありません。
でも植村さんが土台を作ってくれたおかげで同じ日本人の僕に対しては本当に快く受け入れてくれましたね。」
ー笠原「北極にはどれくらいのペースで行かれていますか?」
ー山﨑さん「1年の半分です。今年は11月13日にグリーンランドに向かいます。」
実は、山﨑さんは北極だけでなく南極の昭和基地でも研究者の皆さんの観測サポートを行うフィールドアシスタントとして気候データ観測もされました。
ー笠原「まさに北極と南極、二極を股にかけておられますね。」
ー山﨑さん「日本に戻ると不思議な感覚になります。どちらが現実で、そうでないのか。
でも、僕がこのような働き方が出来るのも家族の支えがあってのことです。」
山﨑さんは、奥様と小学生1年生と4年生の子供がおられます。
奥様は、現在、大学の職員。以前は、ドームふじ基地、南極観測隊で働いておられた経歴の持ち主。
ー山﨑さん「1年の半分以上は、日本にいないワークスタイルですから結婚は考えていませんでした。
妻とは南極の「ドームふじ基地」観測調査サポート(支援)をしていた時に知り合いました。
妻が先に日本に戻ったのですが、着々と日本で結婚準備をしてたんですよ。
「今日両家の顔合わせが終わりました。」「結婚の日取りが決まりました。」とネットで報告を受けるんです。
そうすると、やっぱり真剣に「結婚」を考えないといけないと思いましたね。」
約4,5000年も前からグリーンランドで人々の生活ラインの手段となっている犬ぞりですが、
最近は、スノーモービルの普及でその数は減少。またIT技術の普及は極地にも広まり、
「若者たちはスマホ片手にピザを食べてます。さらに気候変動調査をしているとダイレクトに地球の温暖化は進んでいるのが分かります。」と山﨑さん。
ー山﨑さん 「温暖化による気候変動が、このまま進むと「何となく危ない」というレベルから何も対策しないと
「確実に危ない」というレベルまできています。」
11月には、COP27(国連気候変動枠組み条約第27回締約国会議)で
「損失と損害」が大きくフォーカスされました。
ただ、山﨑さんの活動拠点のグリーンランドは温暖化によって、
氷河の下に眠っていた天然資源が表面化しその恩恵を享受することにもなりました。
思わぬ皮肉な恩恵。
そして、「デンマークからの独立」が悲願にとってこの予想もしない利益をバックに独立の気運が高まっています。
デンマークからの独立、大国の思惑のはざまで揺れるグリーンランド。
そのグリーンランドで、植村さんが切り開いたエスキモーとの絆。
その絆を絶やさないようにエスキモー文化の継承し続け、さらには現在は、
グリーンランドと日本の地域の姉妹都市提携活動も行っています。
最後に、これからの活動と山﨑さんにとっての仕事とは?
ー山﨑さん「僕には北極で活動することしか取り柄が無く、北極は生き方、人生そのものです。
北極域は地球上で最も温暖化の影響が、目に見えて表れる場所と言われています。
35年に亘る北極活動の中で、偶然にも気候変動の最前線の中にいる立場となり、自分に出来ることはなにか、と考えるようになりました。
温暖化問題を改善していく大切さを、北極活動を通じて訴えていくこと、またその意識を、次の世代へ繋げていくのが僕の役割りだと思っています。」
山﨑さんの北極活動はこちら「アバンナット北極プロジェクトブログ」から見れます。
また山﨑さんの犬ぞりカレンダーやTシャツで活動を応援される方
こちらからご購入できます。
犬ぞりサポーターも募集されておられます。
マイナス35度の極寒で活動する日本人山﨑哲秀さんを支える
エスキモー犬の逞しさもすごい!
山﨑さんと犬たちとの絆もぜひブログでご覧ください。
ぜひ皆さん応援よろしくお願いします。
絆工房はお客様の人生そのものの生き方を取材することを通してこれからも絆作り活動を
精一杯して参りたいと思っております。
社会で活躍するリーダー、経営者の皆さんの活動 は
こちら「絆のカタチ」からご覧いただけます。
ニューズレター創刊以来、今号で61人の皆さんとの絆を紡ぐことができました。
皆様本当に有難うございます。