【原点に還ると見えるくるもの】No. 56絆工房代表取締役社長笠原泰藏様
■会社を継続している原動力になっているもの
負け嫌いな性格。負け嫌いは負けず嫌いとは違う。
戦かずして負けるのが負けず嫌い。
僕の場合は、戦って負けている。沢山負けた。悔しくて、そういう自分が嫌いだった。
■具体的に負けた相手は?
幼少期はいじめられっ子。
家では父親から常に「勉強しろ」と怒られていた。
卒業後、本当は絵、デザイナーの道に進みたかったが、
この時も父親に反対され「絵では飯が食えん!」の一言で、親の進めた大阪の会社に就職。
しばらくして親から実家に戻ってくるよう言われUターンし、地元で就職。
それでも「自分の特技(デザイン)を飯の種にしたい」という気持ちはくすぶり続ける。
そんなある日、何気なく手にした週間ポスト。その中にシルクプリントのフランチャイズ店の募集欄に目が止まり早速応募。
もちろん父親からは怒られたが、借金を抱えて独立起業。
この会社が1年も経たずに倒産。残されたのは借金のみ。
さらに、肝炎にかかり医者からは、やがて肝硬変になり肝がんに進んでしまう、と告げられる。
沈みゆく夕日の朱を帯びた空の情景が今も忘れられない。
幸いにも肝炎は完治。しかし、多額の借金をかかえたまま。シルクプリント事業を背水の陣で取り組むしかない状態。
幼い頃からこのように戦いにことごとく負け続けていると、次第に
「どうせ僕なんか所詮・・」と思うように。。。。
自己肯定感の低さに暗澹たる思いの20代。
■その状態からどう心が変化していったのか
一つはテニスでの成功体験。
好きこそものの上手なれというように、三度の飯よりテニスが好き。
どうやったらテニスがうまくなれるか、そのことばかり考えていた。
好きなテニスの事となると寝食忘れて没頭。まさにゾーンに入るという表現がぴったりの心境でテニスにのめり込む。
そして、試合に勝つようになると素直に嬉しい。
じゃあ次の試合までにはもっと今よりも上達しようと挑戦。 その繰り返しの中での成功体験が増えていき、
気がつけば、低い自己肯定感の自分から脱皮できた。
変容<メタモルフォーゼ>
好きというのは原動力になる。
もう一つの原動力は、本来の負け嫌いという性格。
今でこそ、若者の起業が当たり前の時代だが、
37年前は、
「勉強していい学校に入らないといい会社に入れない」と呪文のようにいう父親の言葉に心が囚われていた。
時は高度成長時代。
就職すればその会社に滅私奉公で終身雇用するのがふつ〜の生き方。
集団就職、年功序列、定年制によって一億総中流意識だった時代に、サラリーマンを辞めて独立するというと、この時は父親は猛反対。
周りの人たちも、「キギョウ?なにそれ、美味しいの?美味しくなければ辞めとけ・・・」と。
四面楚歌状態。
まさにアウェイの状態で会社をスタート。
借金も抱え、家族も抱え、後がないということもありがむしゃらに働くこと2年。
そして、ようやく借金も返済し、事業も軌道に乗り始めたのが40代間近。そしてこの年齢はということ、地域の役を頼まれる年齢、いわゆる厄年でもある。
消防団の役
PTAの役
商工会の役と地域の役も引き受けるようになり・・・
正確には引き受けざるをえない状態に。。。
それは、布石を打ったから。
役員の打ち合わせで意見を述べるとよく
「経験もないのに知ったような口を聞くな」と長老たちから軽くあしらわれる。
言われた瞬間は、もちろんショックでがーん!
だが次の瞬間、意外に冷静になる自分がいて
「だったら俺が引き受ける!」
開き直り。
反対されると、逆に燃えるタイプ。
そういうことを繰り返していくと、
消防団分団長、PTA会長、人権啓発推進協議会委員、
豊岡市商工会日高支部長、神鍋高原道の駅の社長
と雪だるま式に役を引き受けることになる。
そして、「長」の役につくと、否が応でも人前で話す機会が増えるもの。
自己肯定感ゼロの頃は、人の前で話すのなんて大の苦手だった、(今でも嫌い)
責任のある仕事や役は逃げ回っていた。
■なぜ引き受けるようになったか?
トヨタ自動車社長、豊田章男いわく
「怖いところに突っ込んでいく方がむしろ安全」だから。
そして、
どうせやるなら面白くしよう、と。
誰にも言われずに始めた2週間に1度の商工会のおひねり勉強会も6年で約128回開催。
■withコロナ時代、これからの会社経営
デザイナーのはしくれとして「究極のオリジナルTシャツをつくりたい」という思いでスタートさせた絆工房は、設立当初は有限会社マジック。
マジックの由来は、Tシャツで人をマジックのようにびっくりさせたいというのとイエローマジックオーケストラYMOのマジック。
平成25年4月には、マジックから絆工房に社名変更。
ユニフォームというのはチームで着るもの。
そのユニフォームにお揃いのデザイン、エンブレムが入っているものと、
入っていないものとでは必然的に試合に臨む心意気も違ってくる。
チームの団結力も違ってくる。
努力―勇気―覚悟―開直り、の順番で進んでいく。
決死の覚悟で進んでいき、それでもダメな場合。
開直り
開き直ってやるしかない
宮本武蔵も
「命を投げ打つ者ほど強いものはない」
開き直って物事に当たると、経験値を超えたところの発想を生まれてくるもの。 シナプスが発火するという感じで、持っている能力以上のものを発揮する場合がある。
スタッフがそういうフローな状態で仕事ができる環境作りを経営者としてつくっていきたい。
経営者の仕事は「環境づくり」
■ 会社は何をもって集まっているのか?
会社は、同じ目標を持った者同士が集まるところ。
桃太郎の話しもそう。
鬼を退治するという同じ目標をもった桃太郎のもとにキジや猿が集まってきた。
キジはキジの役割、
猿は猿の役割がある
絆工房でも、それぞれのスタッフが自由意志のもとに、自分の特技や能力を思いっきり発揮できるような組織、
最近ではそんな組織をティール型組織と定義されているが、
絆工房もそういう組織に近づけるよう、環境を整えていこうと思う。
そう思ったのが、
11年前に一冊の本との出会いがある。
この本の出会いによってさらに組織の方向性を決
それは、ブラジルのセムコ社のリカルドセミナーの書いた「奇跡の経営」。
セムコ社は、社員に対し徹底した情報の開示と、社員に対しコントロールの放棄。
今で言う、まさにティール組織型経営。
「人に言われたからやる」
「上司に言われたら仕方なくやる」というのではなく、
好きなテニスならアスファルトのコートがフライパンのように暑い炎天下でもやる、好きなゲームなら親に隠れてでもやる、
好きな教科の勉強なら苦にならず延々と難問でも挑戦できる、
同じように
ゲームのように仕事に没頭できる。
趣味が高じて仕事になったとよく言われる、あの感じ。
ただし、趣味と仕事は違う。
趣味はペクトルが自分の方に向いているが、仕事はお客様の方に向いている。
如何にスタッフが快活に仕事に打ち込めるかのルールづくり。
そんな仕組みでゲーム化していきたい。
コロナ禍と云う一つのきっかけで、長い時代が終わり、新しい時代が始まろうとしている。
withコロナというよりもアフターコロナでの新しい時代ではそれに対応できる人や組織だけが生き残っていける。
今まで隠されていたモノがあぶり出されている
そのモノに対してどう対応すべきか、
どうサインを読み解くか。
それは原点に還ること
原点に還ると答えは自ずと見えてくる。
以上
他の取材を読んでみる