【絆のカタチ】孤独と壁をつきやぶれ!No.27置き薬きくや豊岡下田明浩様
今回お話しを伺うのは、神鍋万場で置き薬業の仕事をされている下田明浩様。
韓国や中国では四千年以上も愛用されている漢方薬の高麗人参を取り扱っておられます。
笠原会長の主催する月二回のおひねり勉強会の常連メンバーの一人。
絆工房と同様下田様も、2ヶ月に一回お客様にニューズレターを発行されておられるそうです。
■トップセールスマンからの独立
神鍋の万場生まれのUターンの下田様。
置き薬の会社を設立するまではコンピューター会社の営業マン。
転勤族で、東京、名古屋、大阪といった都会で働き、1994年、35歳の時に家を継ぐため生まれ故郷の万場に帰郷。
ー下田さん「でも、田舎ではコンピューターの営業は需要がないですから、田舎で出来る仕事を探しました。」
たまたま友達の紹介で、 ”一年間営業成績がトップだったら、のれん分けして豊岡で販売してもいい。”という大阪の置き薬の会社に転職。
泉北ニュータウンという難しい営業地域を割り当てられましたが、「負けず嫌いの性分」で1年間、
常にトップの営業成績をキープ。
そして、1年後の平成15年、地元で置き薬、きくや豊岡を開業。
ー笠原 「トップセールスマンのご主人が田舎に戻って事業すると言われた時はどうでしたか?」ご主人の片腕となって精力的に事業を手伝っておられる奥様にも伺いました。
ー奥様「反対よりも賛成でした。地元の人と深くつきあえるのが魅力でしたから。でも、この仕事は人に仕える仕事ですし、地味な仕事でもあります。とても人格が鍛えられましたね。」
■ 経営には、孤独と壁がつきもの
絆のカタチで話しをうかがう会社や組織を経営される方からよく耳にするのが、
『経営は大変』という言葉。
下田さんも独立して1年目の平成16年に起きた台風23号による水害に見舞われました。
ー下田さん「損害も損害、大損害。倉庫に保管している薬が水没し全部使いモノにならなくなりました。あの時は本当に困りました。」
また、同僚が大勢いる社員という立場から一人で営業から販売までこなす立場は、肉体的なことよりも精神的に大変だそうです。
ー下田さん「モチベーションの維持が課題でしたね。大阪にいた頃は、私の他にも50人近くの営業マンがいましたから共に戦えましたし、例えば”あいつにだけは負けたくない。”といったトップセールスマンとしての意地が明確にありました。けれども、田舎で一人で事業をしていると、”今日は雪も降っているし寒いから早めに帰ろう。”って思う時もあるんですよね。
高いモチベーションを持ちながら仕事をしていく苦労はありますね。情報収集のために沢山のセミナーにも参加しました。かなりお金をつぎ込みましたよ(笑)。ですから笠原会長が近くで無料のおひねり経営勉強会を開いていただいて本当に感謝しております。」
経営者としての悩みを共有できる仲間達にも出会え、また薬箱を通じて一生涯、家族のような絆を作ることができる仕事にやりがいを感じておられるそうです。
開業5年目にはお客様と行くバスツアーを企画し、23人のお客様と一緒に丹波篠山日帰り旅行をされました。
また、趣味の自転車で色んな場所を走りそのことをニューズレターに掲載すると、以前は話題をこちらからふっていたのが、お客様の方から尋ねてくれるようになったそうです。
更に、ガーデニングの得意な奥様は、毎年春に開催される『とよおかオープンガーデン』に参加。
長年愛情を注いだ家の庭を一般公開。
半鐘ズル、姫シャラといった控え目で奥ゆかしさを感じる山野草が中心の小川の流れる下田様の庭。
人気の庭の一つだそうです。
ー奥様「オープンガーデンをやり始めたのも、お客様との垣根をとりたい、家族的なお付き合いをしたい、という想いがあったんです。遠方からも見に来られた人が珍しい山野草を見つけて感動されている姿をみると本当に嬉しいですね。たまに朝カーテンを開けると知らない人が庭におられるというハプニングもありますが(笑)」。
ニューズレターを通して、またガーデニングを通してコミュニケーションの場を作ってお客様との絆を育んでおられる下田様。控えめで、それでいてその力強さで人を魅了する山野草のようなご夫婦でした。
〒669ー5378 兵庫県豊岡市日高町万場334
きくや豊岡