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【絆のカタチ】No.52 AC播磨イーグレッツ運営事務局代表 岡田隆人様

絆工房とイーグレッツ

 

『ジャイアント・キリングになれ』

 
1993年にユネスコ世界遺産に登録された姫路城。その姫路城のお膝元に今回取材するAC播磨イーグレッツ運営事務局があります。
バスケットボールチームとフットサルチームの2本柱で地域リーグに所属。
姫路で唯一の女子フットサルチーム。イーグレッツのイーグレットegretは、白鷺という意味。
真っ白な漆喰の壁が美しい姫路城は、まるで天を舞う白鷺のように見えるということで、別名白鷺城とも言われています。その白鷺にちなんでチーム名が誕生。天高く羽ばたくべく、日々練習に励んでいます。

 
その白鷺女子のチーム活動を支えているのが岡田代表。
20代でイベント音響関係の会社を立ち上げて現在58歳。
バスケットボール経験者で、家族も野球、バスケに打ち込んでいるスポーツ一家。
2012年に女子サッカーチーム「ASハリマアルビオン」を、翌年にバスケットチームを立ち上げそのオーナーに就任。ちょうどその頃、インカレベスト4に入る実力者で日体大卒業後、姫路の日ノ本短大に在籍中でもあった小平キャプテンが、フットサルも是非設立して欲しいという要望を受けて誕生したのがフットサルチーム。「日本一を目指すには、まずは「日本一を決める試合に出られるようにならないといけない。」と岡田代表。
「彼女達はポテンシャルがあるのですから、もっと果敢に試合を攻めて欲しいですね。でも、尻込みして守りに入ろうとする時もあり、歯がゆく感じます。」
代表が悔しそうに話されるのには理由があります。それは取材日の直前に先月(6月)に行われた試合結果。
 

普段は選手に直接指導をしないという代表ですが、その時は、思いを抑えきれずに「遠方から応援に来てくださった親御さんやスポンサー各社の方も応援に駆けつけて下さった。
他にも多くの方に支えられてフットサルが出来ている。そのことに本当に感謝しなければならない。
それに答えるには、勝つこと、一生懸命にやっている姿を見ていただくことである」と、熱く選手に伝えたそうです。
もどかしくても、歯がゆくても、常に選手達の『日本一になりたい』夢の実現に向け、選手の住むところ、働く会社も斡旋。
 

—笠原「なかなか仕事も紹介してくれるところは少ないですよね。苦労があるのではないでしょうか。」
—岡田代表「そうですね。せっかく紹介しても仕事の方が続かなかったりする選手もいますし、しっかりとバランスのいい食事を心がけるように言っていますが、彼女たちはまだまだ若いですからつい食費を削ってしまうんですよね。アスリートは体が基本ですからしっかりと食べて欲しいので、たまに焼肉に連れていったりします。」
―笠原「ほぼボランティアでやっているサポートですが、そこまでされる代表の思いは何ですか?」
―岡田代表「沢山の苦労をしても、試合に勝った瞬間というのは、何とも言えず嬉しいものです。その瞬間が忘れられず、その瞬間の為に彼女たちのサポートをやっているという感じです。」やはりとても嬉しいとガッツポーズをとられて言われた岡田代表。
何としても日本一を決める試合会場に出場させてやりたいという親心のようなものが苦労してもサポートし続ける原動力となっています。
その原動力こそが、代表と彼女達との絆の核であると感じました。
事務所での取材の後は、近くの体育館に移動。
雨の降りしきる午後7時にJA体育館の扉を開けると、既に仕事を終えたフットサル女子5人がウォーミングアップ。
今春ユニフォームの打ち合わせに来社した際に『日本一を目指します!』と力強く言われた小平キャプテンの姿もあります。彼女達の出身地は様々。
北海道、東京、大阪、佐賀と、全国から集まっており、ほぼ毎日仕事が終わってから練習に励んでいます。
 

—ウェアサプライヤーとしての絆工房に期待するものとは?
—岡田代表「是非、試合会場に応援にきて下さい。選手のモチベーションがあがって張り切りますよ。それから、手足の長い選手のユニフォームの他にも、背の低い選手用の丈の短いパンツも欲しいですね。体育館でスライディングしても破れないソックスも欲しいです。」
今回実際に取材してみて、選手の生の声も頂くことが出来、今後の商品開発に活かしたいと思います。



 

 

 

インタビュー記事  

男前小平キャプテンにインタビューしました!

 

 

【絆のカタチ】No.51アドバンス株式会社 取締役支配人 樋口正輝様

アドバイス樋口様

 

「神鍋を非日常生活を提供していく場に」

 
冬はスキー、夏はトレッキングやニジマス釣りと四季折々のアウトドアの楽しさを提供してくれる神鍋高原。2018年には、目線を大地から空に向け、360度広大な高原を上から楽しめる熱気球体験アクティビティーもスタート。関西一の名門スキー場というポジションに甘んずることなく様々な角度から高原の魅力を掘り起こそうとする若き仕掛け人、樋口正輝様に、3月末とは言えまだ肌寒くストーブを炊いた事務所でお話しを伺いました。
 
 

 

■ 「経営は始まってからが一年生」

取締支配人ということで年配の方を想像していたのですが、現れた人は少年のような方。

−笠原 「樋口さんはお幾つですか?」
−樋口さん 「33歳です。」
−笠原 「どういった経緯でこの神鍋スキー場経営に携われたのでしょうか?」
−樋口さん 「愛知県生まれですが、父親が新潟ということで幼い頃からスキーは慣れ親しんだスポーツでした。大学もそういうわけで北大に進みました。」

−笠原 「卒業後すぐにスキー場経営に携わったんですか?」
−樋口さん 「いえ、商社に就職しました。僕は大学では工学部に在籍していたのですが最初、ODA関係の仕事に就きたいなと思っていたんですね。ところが『理系こそ文系に就職すべき』という兄、そして、IT出身でありながら三菱商事でオリンピック通訳をした大学の先輩の影響もあって、伊藤忠商事に就職しました。『ラーメンからミサイル』まで扱う商社では、とにかく色んなことを学びました。」

商社で3年ほど働いた後、自分の得意とするスキーを活かすスキービジネスで起業するという夢を実現すべく、ネットでスキー場経営を検索。
そこで検索にヒットしたのが㈱クロスプロジェクトグループの代表取締役、辻さん。
−樋口さん 「すぐに辻さんに連絡をとって相談すると、『経営は始まってからが1年生。さらにスキー場経営は10年かかる。起業は早ければ早いほどいい。』ということで商社を26歳で退職しました。」
 

−笠原 「若くしてスキー場経営者になられたわけですが、どうでしたか?」
−樋口さん 「最初のスキー場の職場では、ごっつい指輪した、いかつい兄ちゃん達がいるわけですよ。そんな彼らに26歳の経営者がいきなり現れ、トイレ掃除一つ出来ない僕に現場の人はついてきません。『役職なんて意味ないな。』と気づきました。(経営者として)最初の挫折です。」
 
−笠原 「樋口さんにとって経営とは?」
−樋口さん「売り上げだけでは人はついてこないということ。ベクトルを揃えて全員がハッピーでないとダメだということです。絆ですね。それには(自分自身の)普段の言動の積み上げが本当に大事だと気づきました。」
−笠原 「事業を続けていく意味はなんでしょうか?」
−樋口さん「利他の精神でしょうか。言葉としては分かってはいてもなかなか大変なことも多いものですが、利他の精神でいくと基本的には物事は上手くというのが僕の考えです。」
−笠原 「樋口さんにとって大変なことって何ですか?」
−樋口さん「倫理と経済とのバランスでしょうか。健全な事業はこの2つが両立していますね。また、伊藤忠商事では、事業というのは売り手よし・買い手よし・世間よし、これが絶対であるとことを学びました。」
−笠原 「三方よしですね。」
−樋口さん「まさにそうです。」

 

■ フルパワーで生きても追いつかなかった海外留学

自分の生きる軸の基準をすでに確立し、その軸に沿った働き方、生き方をされているように見える樋口さん。
その軸にも話しが及びました。
−笠原 「ところで樋口さんの人生のターニングポイントはありますか?」
−樋口さん 「アメリカ留学ですね。留学の動機は、英語が喋れるようになりたいとかではなく自分を試す為でした。生活は本当に大変でした。まず、オリエンテーションの英語がさっぱり分からない。でも説明が終わると周りの学生は行くべき場所が分かって散らばっていくわけです。僕一人どこに行けばいいかわからない。そこで、見るからに優しそうな人を捕まえてどこに行くべきかを身振り手振りで訴えました。ようやくその日から生活する学生寮にたどり着いたのですが、着いたら着いたで部屋の扉がオートロックであることを知らない為閉め出されたり、、。朝の7時半に授業ということで寮を出ても、外は真っ暗、不安になって自分の腕時計を見ても本当に正確な時間であることすら怪しくなってくる。サマータイムがありますからね。おまけに語彙力が圧倒的に少ないので、ものすごく偉いに違いないであろう教授に対しても命令口調で言ったりと、まあ本当に大変でした。フルパワーで生きても生活が送れない。あの留学経験のおかげで怖いものがなくなりました。かっこつけてもしょうがない。」

 

■ 「死を意識することが大事」

−笠原 「開き直りですね。」
−樋口さん 「そうですね。僕は、基本ポジティブシンキングなので、失敗や不幸というのも後からラッキーと思えれば今の不幸もラッキーと捉えています。また、人生の価値は、死んだ後も分からないと僕は思います。そう思うのは、僕は8年前にスキー骨折し東京の病院で手術を受けた体験からもきています。麻酔から目を醒ますと『日本が変わっていた』んです。実は、手術したのは3月11日の東日本大震災が起こったまさにその時間だったんです。目が覚めると病院は、帰宅難民の人で溢れ、病院は、野戦病院状態。そこで、骨折したのが不幸だったのか、病院で建物の設計上一番地震の揺れに強い場所である手術室で震災の難を逃れたので運が良かったのか、どちらをとるかです。現実をどう捉えるかです。ただ言えることは、(人生において)死を意識することは大事であるということ。そういう体験をしないとトラブルがあった時の判断が甘くなるんじゃないかと思います。」
 
 
 

■ 仕事場はアジア

今の神鍋高原は、グラススキー、サマーキャンプ、そして関西初の熱気球体験が出来る夏も遊べるスキー場。
−笠原 「今後、この神鍋スキー場をどう経営されていかれますか?」
−樋口さん 「神鍋の人口は減少していっています。それは確かです。民宿経営する親の世代も子供に継承を強いていません。ですから人口減少を、衰退ととるか進化ととるか。新しい秩序に移行しているであれば人口減少を悲しんでそれを無理にくい止めようとする必要はありません。どの秩序に向かっているのか?僕は、この場所を非日常を提供していく場にしていきたいと思っています。雪にも可能性を見出しています。雪の降らない海外の人からみると、ここは非日常を体験できる場です。雪体験そのものに可能性があると思っています。ですから僕の仕事場は神鍋高原というよりもアジアですね。」
 
学生時代は、留学だけでなく、インドでストリートチルドレンに朝食を提供ボランティア活動の為、通勤ではドアがなく落ちたらすぐ死ぬという満員列車の体験もした樋口さん。
「文明と引き換えに日本は何を捨ててきたのか、日本で当たり前のことが実は当たり前でない」と言う樋口さんは、幸・不幸、生・死、日本の外・中といった進むべき方向の決定をする軸を、既に経験されている方という印象を受けました。
今後の活動が楽しみです。


 

【絆のカタチ】No50エンドー鞄株式会社 代表取締役社長 遠藤玄一郎様

絆工房と遠藤鞄

豊岡市と言えば、国の特別天然記念物であるコウノトリの街、そして鞄の街として知られています。
日本一の鞄生産量を誇るこの街に、エンドー鞄株式会社があります。柳行李(やなぎごおり)発祥の地、豊岡で最も古い鞄メーカーということは、最も古い鞄メーカーということになります。エンドー鞄は今から196年の文政7年(西暦1825)創業した鞄メーカー。2つの世界大戦、世界恐慌、オイルショック、そして平成数々の自然災害など時代の荒波を乗り超えて今なお存続する会社。そこには継続していく上での大切な何かがあるはず、ということで今回はそのあたりも含めて8代目代表取締役社長である遠藤玄一郎さんに話しを伺いました。

■ 『経営ははじまってからが勝負』

絆工房と遠藤鞄

エンドー鞄は、女性が好むような甘いテイストのカラーはほぼなく、黒、グレーといった、どちらかというとマニッシュな雰囲気が特徴。


ー遠藤さん 「昔は、レディースも取り扱っていました。でもある日「なんでも出来ますよ。」とお客様に言うと、「何でも出来るということは、何の特徴もないんですね。」と言われたんです。そこで、男性用のビジネスバックに特化した商品を作ることに決めたんです。」

−笠原 「一点突破全面展開ですね。 順調に来られたんでしょうか?。」
ー遠藤さん 「そんなことはありません。大学卒業して入社早々に取引会社2社が倒産しその煽りを受けました。修業のために大阪営業所にいたのですが、すぐに本社に呼び戻されました。会社が経営難に陥ったことはすぐに噂が広がるものです。人の不幸は蜜の味でね(笑)。家のお風呂が壊れてしばらく銭湯に通っていたら「遠藤さんのところは家を売ったらしい」と噂がたったり、父と道で立ち話をしていると、「あれ夜逃げしたんじゃなかったの?」と言われたり、、、、。何とかしなければという思いから、親父や先輩達にああしよう、こうしようと提案しました。親父が「右だ!」と言ったので「いや左だ!」と反対しました。でも、従業員は親父の方についていくわけですよ。え〜右なの?って(笑)。難しかったです。あまりに私が吠えるので、「それじゃあ、お前がやってみろ」って親父に言われまして、30歳の時に専務に就任しました。」

ー笠原 「(就任されてみて)どうでしたか?」

ー遠藤さん 「起死回生を図ろうと睡眠時間3時間で働きました。それまでの付き合いは全て断ってひたすら働きました。でも、ある時、寝る時間以外の16時間働いても人の2倍しか出来ないことに気づいたんです。それに気づいてからは、他の人にどんどん仕事を振っていきました。」

■ 『人の困りごとをソリューションには力がある』

絆工房と遠藤鞄

ー笠原 「鞄作りでご苦労されたことはありますか?」

-遠藤さん 「人に伝えることが難しかったですね。例えば、ロフトやハンズの旅行かばん売り場では、軽さや静かさを謳っている鞄は山ほどあります。たとえ重たくても、です(笑)。どんなに音が静かな旅行用キャリーケースです!って言っても理解してもらえませんでした。そこで騒音体験ボードを売り場に置こうとしたんですが、今度は売り場からそんなもの置けないと言われました。そんな中、名古屋ハンズだけが目をつけてくれ、売り場でお客様に体験してもらったところ瞬く間に売れたんです。そのことがきっかけでロフト店はもとより、小売店でも取り扱ってもらえるようになりました。鞄に限らず、モノは簡単には売れません。どうやって伝えていくかが大事です。」

旅行は早朝や晩に空港へ出発することが多いことをヒントにご近所の迷惑にならない世界一音が静かな旅行用キャリーケースが誕生しました。

■ 朝令暮改OK!


ー笠原 「旅行用キャリーケースはうるさい、という概念を払拭したわけですね。」

ー遠藤さん 「人の困りごとを解決するソリューションに力を入れています。僕は若い頃ファッションに無頓着な方でしたが、当時の鞄には内側に収納ポケットがなく、入れたものが中でぐちゃぐちゃになるんですね。それが嫌で、鞄の内側に収納ポケットを付けてくれるように職人に頼むと、「そんな手間がかかるものは作れない。」って言われました。それでも、とりあえず試作品だけでも、と無理を言って作ってもらったところ大ヒットしたんです。」


エンドー鞄のブランド商品の1つ『プログレス』が誕生した瞬間。


ー笠原 「どんな時に商品開発のアイデアが浮かぶのですか?」
ー遠藤さん 「四六時中常に考えています。特に旅行や出張にいった時に人の持っている鞄をチェックしますね。」

伝統を守りながらも変化に対応していかないと生き延びることは出来ない、だから朝令暮改OK!と言い切る遠藤さん。今ある伝統も、誕生した当初は、前例がないもの。柳行李からファイバー素材の鞄、そして歴史を重ねていくごとに生まれ変わっていくエンドー鞄。鞄の伝統と進化のリテラシーが柳の細工のようにしなやかに織り重なっていきます。
現在65歳になった遠藤さん。今後の会社経営、そして絆について伺いました。

絆工房と遠藤鞄

■ 『人の困りごとをソリューションには力がある』

絆工房と遠藤鞄

ー遠藤さん 「ルールづくりですね。時代に合ったルールを作っていきたいです。今後も変化に対応して生き延びていく会社を目指したいと思います。以前は、創業から194年もの長きにわたって会社が存続していることに重きを見いだしてはいませんでしたが、でもこれはある意味すごいことなんじゃないかと思えるようになりました。続けてこられたのも先輩との絆、従業員との絆があったからだと思います。縁を大切にしていきたいと思います。社員を大切にする会社、社員の雇用を守る為にもこれからもしっかり儲けることが大事だと思っています。それが私の使命です。」

ー笠原 「儲けることは手段であって、社員を守ることが使命だということですね。またさらに伝統も、ただ守るものではなく、革新していくもの。それを人の絆で未来に繋げていく。そう強く感じるお話でした。有難うございましたた。」


世界の創業100年以上の老舗会社の半分以上は日本企業というまさに世界一の老舗大国。その老舗がひしめく国、日本で生き残っていくには、何を守り、何を大切するのかを学べた取材となりました。

以上

【遊びの中に学びがある】No.49 NPO法人 かんなべ自然学校 代表 前田敦司様 

絆工房とかんなべ自然学校前田様

黄金色に色づきはじめた11月の神鍋高原。学校と民間のちょうど中間地点で子供たちを育成したいと2011年『NPO法人かんなべ自然学校』を立ち上げた前田敦司さん(33才)。
標高のある神鍋はやはり山里よりも気温が低く肌寒いため、ストーブを囲んでの取材となりました。

■ 学校でも家でも出来ない教育をしたい

尼崎、大阪、東京と都会でデザイン会社の内装を手がける現場監督件営業マンとして
約10年ほど働いていた前田さん。

ー笠原「都会で働いていて故郷に戻ってきた理由はなんですか?」

ー前田さん「東京にいた時に東日本大震災を経験し、放射能影響が不安になってこちらに戻ってきました。
もともと好きな仕事が“ガイド”だったので、生まれ故郷の自然豊かな神鍋の地でガイドとして働きたいなと思い、ちょうど神鍋観光協会がジオパークガイドの募集をしていたので2011年からガイドとして働きはじめました。」

ー会長「どうしてこの学校を立ち上げようと思ったのですか?」

ー前田さん「2年間ガイドとして勉強した後、未来ある子どもたちに自然の中で何かを学んでもらいたいと思ったからです。学校でも家でも出来ない教育が出来たらな、と。学校はずっと同じメンバーで上がっていきますよね。でも私の学校は20人定員で年齢、出身、性別もバラバラ。いわば、社会の縮図です。」

絆工房とかんなべ自然学校前田様
                   学校の横に手作り露天風呂建設中



ー会長「日本の学校教育は、詰め込み教育です。他の生徒よりも1点でもいい点数を取ることに努力しろという。そして頑張って日本の最高学府の東大に入ったものの、世界の大学ランキングで東大はトップランキングに入ってないんですよね。他の生徒よりも自分がとにかく上を目指し、いい大学、いい会社に就職した。そして、さらにいい営業成績を残して上司になって部下も出来た。その時に、部下への応援の仕方がわからないという問題に直面します。それまで他の人を蹴落としてでも自分が上に上がることだけを考えてきましたからね。」
ー前田さん「そうですね。この学校をNPO法人にしたのも、応援するし応援してくれる組織にしたかったからです。人は本来“有難う”という言葉を聞きたいものです。活動を通して子供たちには助けることの喜びを知ってもらいたいですね。“遊びの中に学びがある”と思っています。映画『のぼうの城』のような応援してくれる人が周りにいる人を育てたいですね。」

ー会長「今は、人から応援される力が高い人が成功する時代じゃないかな、と思います。だからこそ応援してくれる人を育てる事が必要ですね。」

■ 神鍋の魅力とは

絆工房とかんなべ自然学校前田様

ー笠原「ここ神鍋に自然学校を立てられましたが、神鍋の未来に対するビジョンがあったら教えて下さい。」

ー前田さん「スキー以外での神鍋ブランドを考えていきたいと思っています。お金を出さなくても来るだけで楽しい体験が出来る神鍋になれば、と思っています。」

ー笠原 「神鍋は既にいいものが沢山あります。その魅力に気づいていないだけで掘り出して磨いていきたいですね。玉石混淆の状態から宝石となる原石を掘り出していくんです。その為に、まずは理念を明確にすることが大切ですね。」

ー笠原「今後の目標についてお聞かせ下さい。」

ー前田さん「今は、前田敦司がやっている「かんなべ自然学校」というものを、自分が離れても運営できるようにしておきたいです。また、夏休みやGWとか休みの期間での活動が多く15プログラムほどあるのですが、1年を通しての活動をしてみたいな、と思っています。東京から田舎に戻って居心地はいいのですが、ともすれば、ぬるま湯状態になるというか(笑)。だから常にハングリー精神を失わないようにと思っています。」

■面白き事もなき世を面白く すみなすものは心なりけり

絆工房とかんなべ自然学校前田様



ー笠原「頑張っておられますね。活動していく中で感じる人との絆があればお聞かせ下さい。」

ー前田さん「学校を設立してから色んな人との絆がありましたね。地元だけでなく、愉快な仲間が沢山いますね。そうですね、例えば(かんなべ自然学校理事)田口幹也さんには仕事をきっちりするとはどういうことなのかも教わりましたし、人生の転機は、ゆかりさん(奥様)ですし♪本当に色んな人との出会いがありました。」

ちゃんちゃんこ姿が冬隣の神鍋の山にぴったりの前田さん。趣味は、「映画鑑賞」と「人と喋ること」という人懐こい丸い目をした彼と同じく組織を運営していく経営者の笠原。
お互いの視点からみた「神鍋」の将来について熱い会話のラリーが続き、あっと言う間に時間が過ぎていきました。

ー会長 「最後に座右の銘があればお聞かせ下さい。」
ー前田さん「先ほど述べたように、“遊びの中に学びがある”と、“面白き事もなき世を面白く すみなすものは心なりけり”ですね。」

【仕事は人間関係が運ぶ】No48吉谷建築 吉谷貢様

絆のカタチ 吉谷建築

地震、台風、豪雨、火山噴火など今年(2018年)は多種多様な災害が日本列島をくまなく襲い、絆工房のある兵庫県但馬地方も記録的な降水量に見舞われました。今回の取材は吉谷建築の吉谷貢さん。

大工事業だけでなく、クロス再生クリーニングという新たな事業も取り入れて日本の『家』のリノベーションに情熱を注いでいる貢さん。
一人で大工業のみならず新事業の企画、営業までこなしておられます。
その情熱のフレームワークになっているものとは・・


■ 職人の家に生まれて


平成29年にお父様から家業を引き継いだ吉谷貢さん。
ゴルフが大好きというだけあっていい感じに日焼けされています。

ー笠原:「会社を継ぐ前は何をされてたんですか?」
ー吉谷さん:「大阪の建築の専門学校を出てUターンで大工として父の会社で働いていました。」

ー笠原:「ほぼ十年間お父さんのもとで働いた後で、去年家業を継がれてどうですか?社長業をやられて1年経ちましたが。」

ー吉谷さん:「以前は大工というポジションだけでやっていましたが、代表になってからは何でもやりますよ、という切り口で仕事をするようになりましたね。」

ー吉谷さん:「屋根を見ると、家屋のことが分かります。そこで「屋根を直した方がいいですよ」と教えてあげる。そこから会話をしていくと、「じゃあ家の中も見て」となります。(家の)悩みやトラブルは解決できる自信はあるので、家に入らせてもらったらすぐにどこがトラブルであるか見つかるんです。」

ー笠原:「そうなんですね。具体的にどんな仕事をされているんですか?」
ー吉谷さん:「大工業はもちろんですが、今は壁のクロス再生事業もしています 注1)。皆さんにこのクリーニング法をお伝えすると「え、壁を洗うことが出来るの?」と驚かれるのです。まだまだ知らない方が多いんですね。壁のクロス再生をもっと知 ってもらうために地元以外でも販路拡大していこうと思っているところです。クロス再生は本当に注目ですね。」

ー笠原:「一点突破全面展開ですね。」

絆のカタチ

 

■ 仕事は人間関係が運んでくる

ー吉谷さん:「父の代では待っていても向こうから仕事がきた時代でこちらからは営業はしなかったようですが、今は待っていても仕事は来ない時代です。こちらから「屋根をそろそろ変えた方がいいですよ」と教えてあげたり、クロス再生を紹介したりと積極的に会話をしています。」
ー笠原:「結局、人との関係が仕事を持ってきてくれるんでしょうね。吉谷さんにとっての絆とはなんでしょうか?」

ー吉谷さん:「そうですね、商工会に入ったことで新たな絆が生まれましたね。周りに勧められるままに入りましたが、近隣に自分と同じような年代、しかも仕事の話しが出来る仲間がいるということは本当に良かったと思います。」

何気ない会話を通して家に住む快適さのヒントを伝えしたり、仕事の話しが出来る沢山の仲間に囲まれている吉谷さん。100歳時代に突入した日本人の命を守る長寿の家づくりを若き日本人が展開しています。

 

以上

 

 

吉谷建築

〒669-5314 兵庫県豊岡市日高町赤崎487  Tal/Fax 0796-42-2804

注1)クロス再生工法当社独自の洗剤と灯具でクロスの表面および内部についた汚れ(有機物)を水と酸素に分解する特許技術です。【特許 第3261499号】 表面だけをきれいにふき取るのではなく、内部の汚れをくまなく分解除去しますで、洗浄後に汚れが浮き上がって来ることはありません。        吉谷建築公式HPより

注2)一点突破全面展開孫子の兵法 ランチェスターの法則に基づく現在のビジネス・マーケティング でよく使われる戦略。どこか一箇所を集中的に戦略するとそこからオセロのよ うに全面的に展開する。

 

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経営者の仕事の流儀(第9回)
「仕事とは 人生とは 旗を立てて生きるとは」

【次世代が継ぎたいなと思える会社づくり】No47株式会社ハイロン代表取締役 西垣 宙志 様

絆工房とハイロン

 

 天空の城」と呼ばれる竹田城のある自然豊かな兵庫県朝来市。その町に株式会社ハイロンはあります。
40年以上前に「西垣商店」として業務用モップ・洗車用品の製造・販売をしていたハイロン。
その培われた高度な厚物縫製技術を生かし、2014年より自社オリジナルトートバック「HYLON」の製造・販売もスタート。
今日は、その2代目代表取締役の西垣宙志(ひろし)さんに絆のカタチを伺います。


■ 机上では学べない経営学

 
ー笠原:「会社をお父さんから引き継いだのはいつからですか?」
ー西垣様:「大学を卒業した2年後の25歳の時で、今から16年前くらい前です。」

ー笠原:「なにかきっかけでもあったのですか?」
ー西垣様「大学卒業後アパレル関係の仕事をしていた時に父親が体調を崩しまして、会社を継ぐか継がないかを決めろと電話でいきなり言われました。今も大変ですけど、引き継いでから数年は、ホントにしんどかったです。」

ー笠原:「大学は何学部だったんですか?」
ー西垣様:「経営学部でした。でも会社経営って学校では教えてくれませんね(笑)。 」

ー笠原:「経営っていうのは、実際にやりながら現場で学んでいくものかも知れません。中国に縫製工場もあるそうですが、どうやって中国市場を開拓してたのですか?」

ー西垣様:「昔勤めていた名古屋の会社の元上司が台湾人でした、彼を通して中国市場にパイプを作る事が出来たんです。」
ー笠原:「それはすごいですね。元同僚の方との絆があったからこそ中国工場が設立できたという訳ですね。」
ー西垣様「そうですね、今でも彼とは交流があります。3年前には中国だけでなく、ベトナムにも工場を1部移転しました。」

ー笠原:「言葉の壁とかはどうしてるんですか?」
ー西垣様:「最初は、通訳を介して僕が交渉をやっていましたが、契約が決まってからはスタッフに任せています。英語でやり取りしています。」

ー笠原:「ところで、モップの製造・販売業と平行しながら、トートバックも手がけられるようになったのはいつ頃ですか?」
ー西垣様:「清掃入れの鞄は以前から取り扱ってはいるのですが、ある時、モップ卸業者さんが鞄を作る会社を探しておられたので「うちで作りましょうか?」と言うと「出来るの?」と言われ、「わからない(笑)」から始まりました。3年前のことです。それと、それまでは自社ブランドの鞄はありませんでしたので、やってみようかなと。」

ー笠原:「新しいことにチャレンジされたんですね。ところでハイロンという名前の由来は?」
ー西垣様:「僕の名前が(ひろし)HIROSHIで昔のメールアドレスがひろんHIRONだったんのでそこからハイロン(HYLON)と名付けました。」 

■ 社員に任せられる組織づくり

絆工房とハイロン様

ー笠原:「将来の会社の掲げる目標や西垣さん自身の夢とかありますか?」
ー西垣様:「会社を大きくするというよりも、長く継続していける会社にしたいと思っています。僕が引退した後にこの会社を継ぎたいなと言ってもらえるような会社にしておきたいと考えています。社員が働くことを楽しめる会社にしたい、その為には魅力ある事業内容にしないと・・・、と思っています。」


ー笠原:「そうですね、絆工房の経営理念も「楽しく仕事をすること」です。その為に経営者としての僕の仕事は何かと言われたらスタッフの働きやすい環境を作ることだと思っています。ただ、楽しく仕事をする=好きなように仕事をするのとは違います。時には嫌わられることもいといません。ですから嫌われたくないと思う人は社長には向いていません。 “三方よし”という考え方が大切な様に思えます。また何事にも果敢に挑戦して行かなければ・・そう考えると社長職というのは能力よりも適正でしょうね。」


ー西垣様:「しんどいですけどね(笑)」
ー笠原: 「そう、しんどいです。でも逃げなかったら道は開けます。」


ー西垣様: 「そもそも、僕の場合は逃げ道がなかったっていうのもありますね。(笑)父親から会社を継いで大変なこともありましたが、父が地元のつき合いで築いてくれた信頼や基礎というのも引き継げたことは良かったと思っています。これからも色んなことにチャレンジしていきたいです。」


ー笠原: 「そうですね、途中投げ出すことはいつでも出来ますから(笑)。」


元同僚との絆、次世代への絆を一針一針丁寧に紡いでいく株式会社ハイロン。
梅田ロフトにハイロンのトートバックが展示中です。(2018年夏。現在は終了)新緑に染まる竹田城のように鮮やかさでオーガニックな風合いをまとってデビューされてますのでご覧になって下さい。

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経営者の仕事の流儀(第8回)
「仕事をどう捉えるか」

スタッフインタビュー
〜私が絆工房代表取締役の笠原です〜 社員の環境づくりが私の仕事

【店に入った瞬間の空気感を大切に】No.46まるさん物産店 脇 坂 優子 様

絆工房とまるさん物産

 
官民一体で行う「温泉総選挙2016」の「インバウンド(外国人観光)部門」で1位に選ばれた城崎温泉。

5年で36倍の外国人観光客を集客した城崎温泉で3代にわたってお土産店を営むまるさん物産店。
客層が大きく変化した城崎温泉の中でお土産店を営む想いと絆の話しを伺いました。
 


■ 時代に応じてフレキシブルにそして 温かく対応するお店 


『アリガト!』片言の日本語でサイダーを買う浴衣姿のヨーロッパ系の外国人カップル。


その横では、風呂敷を見ているアジア系の家族連れ。


「一昔前とは大きくお客さんの層が変わりましたね。」そう言って語るのは、2代目の奥様である脇坂優子さん。

―笠原「最初から城崎でお土産屋さんをされてたんですか?」
―脇坂さん「いえ、最初は祖父が竹野でお櫃屋をしていましたが、大正10年に城崎に移りました。プラスチックの普及、旅館の数の減少といった色々な理由で自然とお櫃の需要も減っていきました。昭和30年に商売をお櫃屋からお土産店に転向しました。」


―笠原:「昔はどんなお土産品を売られていたんですか?」
―脇坂さん:「子供のおもちゃですね。こけしなどの木竹工芸品もよく売れました。」

絆工房とまるさん物産
昔の城崎風景が彫刻されたしゃもじ


―笠原:「先程も言われたんですが、昔と今で客層は変わったとのことですが、どう変化しましたか?」

―脇坂さん:「昔は、日本人の一見さんや団体客が多かったのですが、今は若い女性と海外観光客が多いですね。流行に敏感な若い女性客向けの商品を揃えるようにしています。女性が入ると男性も後からついてきていただけますねね。とにかく流行が早いですね。この商品が欲しいと携帯を見せられるんですが、見せられた時には既に取り扱ってないといったこともあります。また日本人規格で作られたものは、海外の人にはサイズが(小さすぎて)合わないものもあり苦労します。コミュニケーションに関しては、スマホの自動翻訳や、身振り手振りでなんとかなるものですよ。(笑)英語サイトも作っております。」

流行も女心と一緒で早いといったところでしょうか。
 

 

■ お店の雰囲気が何よりも大切

 
―笠原:「お商売をする上で大事にしていることは何ですか?」

絆工房とまるさん物産


―脇坂さん:「お店の雰囲気ですね。雰囲気のいいお店がどうかは店内に一歩足を踏み入れた一瞬に分かるものです。敷居の高くないアットホームな雰囲気のお店づくりを信念としています。そのことは厳しく娘に伝えています。」


―笠原「娘さんはどうですか?なにかこうしたいっていうものはありますか?」
近くで忙しく接客されておられる3代目奈王美様。


―奈王美さん:「まるさん物産しか売ってないオリジナル商品をさらに取り揃えていきたいと思っています。」

覇気のある声と温かな人柄はお母様の大事にされているお店の雰囲気づくりの想いを既にしっかりと引き継がれておられます。

―脇坂さん:「娘には可能な限り現場(店)に出るように言っています。今は、娘にお店を任せていますが、私もなるべく出るようにしています。現場でしか分からない、学べないことが沢山ありますからね。それから粗末なことはしないし、粗末なものも売りません。商品の”質”を大切にしていきたいです。それから、やっぱり店の雰囲気づくり、これが何よりも大事だと思っています。」

城崎温泉に毎年来られる度に手ぬぐいを買われるリピーターのお客様がおられるまるさん物産店。何故毎年買われるのか?それはやはりお店の空気感を大切にされている脇坂親子の絆が引き寄せたことにあるように映ります。
 


【日本一浴衣の似合う町づくりを目指す】No.45「いろは」系谷 瞳様  

絆工房と浴衣販売レンタルのお店「いろは」系谷 瞳

日本の温泉100選のトップ10に有馬温泉と城崎温泉2つの温泉がランクインする兵庫県。
志賀直哉をはじめ多くの日本の文豪に愛された城崎温泉。ここ最近は、海外からのインバウンド旅行客が急増し、5年で36倍にもなったこの温泉地の目抜き通りにあるのが今回取材した浴衣販売レンタルのお店「いろは」。

老舗の温泉旅館が立ち並ぶ中で去年オープンした理由、将来のビジョン、絆のエピソードを若女将である系谷さんにお話をうかがいました。

浴衣の着方をイラストと英語で説明した「手ぬぐいBOOK」を絆工房が印刷させていただいたご縁で今回の取材が実現しました。


いろは てぬぐい帯

■ 高校3年 海外から見た日本と自分





絆工房と浴衣販売レンタルのお店「いろは」系谷 瞳


—笠原:「海外観光客はやはり多いですか?」

—系谷さん:「確実にそうですね。今日も午前中、アジアからの女性観光客が浴衣を利用され今お出かけになったところですよ。」

ちょうど取材の為お店に向かう途中ですれ違った浴衣姿の東南アジア女性二人組。
日焼けしたエキゾチックな雰囲気に、浴衣がよく似合っています。普通、海外の人が日本の着物や浴衣を着るとコスプレになったり、バスローブのような感じになりがちですが、『いろは』では、着付けのプロの着付けスタッフが常時。
へアーセット込みの嬉しいサービスをしておりあっという間に着崩れしないしっとりした大和撫子にスタイリング変身させてくれます。瞳さんご自身も京都で着付けを学ばれ、体に馴染んだ美しい着物姿で接客しておられます。

—笠原:「はじめにこの城崎温泉でお店を立ち上げた経緯を教えていただけませんか?」

—系谷さん:「17歳の時に、母の着物の着付けの先生からギリシャ・アテネで行われる10日間の着物ショーに参加してみないかというお話しをいただきました。現地の人たちから矢継ぎ早に「日本では着物は毎日着ているの?」「あなた舞妓さん?」と質問されたのですが、そこですぐには答えられない自分がいたんです。ちょうど進路で大学に行くかどうか迷っていたんですが、大学で特にこれを学びたい!というものもなかったので、そういう状態で進学して果たして何かを見つけることが出来るのかな、と思ったんですね。ちょうど進路を決める時期に海外の着物ショーに参加したことでもっと日本文化や着物のことを学びたいという思いが強くなりました。まずは、京都で2週間ほど着付けを学び、高校卒業後に母のお店「きものサロンけいたに」で働きはじめました。」





同級生の多くが進学する中、その流れに飲み込まれることなく、「自分の人生を自分で決めて」着物の世界に進んだ系谷さん。お母様のもとで働いていく中で、自分の経験を活かしたお店を展開したいと思い始めました。それは、日本人だけでなく海外の方々も気軽に楽しめる和装専門サービスをと考え、城崎温泉に去年の2月にゆかたの販売レンタルのお店ゆかた専門店「いろは」をオープン。

現在に至るまで約3500人のお客様がいろはの浴衣で情緒豊かな城崎での散策を楽しまれたとのことです。 
取材の日は、秋の日差しが暖かく感じられる11月末。
既に二人組の若い女性が店内で好きな柄の浴衣を選んで着付けの真っ最中。 普段着でお店を訪れて、ヘアセットも着付けも店内で全てコーディネートできる「いろは」。

 ―系谷さん:「お友達同志やカップルのお客様が多いですね。インスタ映えする浴衣と町並みを楽しみ思い出を作りたいから、というリピーターの方もいらっしゃったりと、嬉しい出会いが沢山あります。城崎温泉に訪れる方の笑顔を沢山残したいと思っています。それはきっと、浴衣が繋ぐ絆作りのツールになっていると思います。」 

絆工房と浴衣販売レンタルのお店「いろは」系谷 瞳

■Sightseeing (観る観光)からSightdoing (体験型観光)へ

—笠原:「これからは、城崎温泉に来て温泉に入って観光した、というだけではなく、【体験型の観光】が主流になってきますね。自分が観光地で何がしたいのか、単に、観光して、美味しいものを食べて、温泉に入って楽しかったという従来の観光ではなく、好きな柄の浴衣を選んで、それを着て町を観光したという【体験】が大事だと思います。
見る(see)ではなく、行動(do)する観光。自分が主人公になるストーリーのある観光です。ところで、「いろは」というお店の名前の由来を教えて下さい。」




—系谷さん:「物事の基本や基礎を意味する“いろは”から来ています。お客様には浴衣を通して和装のいろはを知るきっかけを作っていただければとデザインしました。お店のロゴマークの丸、三角、六角形は着物の和柄でよく使われています。店の名前もロゴマークも、シンプルでないと伝わらないと思い、漢字ではなく平仮名にしました。」 


—笠原:「わかりやすくて、日本的でとてもいいですね。最後にこれからのビジョンがあれば教えて下さい。」 


—系谷さん:「日々の生活にもっと和装を浸透させていきたいと思っています。」 

絆工房と浴衣販売レンタルのお店「いろは」系谷 瞳

週に何回かお手伝いに来られる瞳さんのお母様。
「仕事が忙しく子育てはおばあちゃんに任せていましたので、娘とゆっくり時間を過ごしたのは高校生の時に連れていった着物ショーが実は初めてでした。」それまではなかなか親子の時間がとれなかったのが同じイベントに参加し時間を共有することで今までの時を埋めるように急速に親子の絆を深めていかれた系谷親子。

「一卵性双生児よね。」とお互いに微笑む二人。

日本の文豪たちに愛された城崎温泉が、海外の現代の文豪達に愛される日がもうすぐ来ています。

浴衣レンタルのお店 『いろは』
  (10:30~18:00 20:00~22:00 定休日 木曜日)
  〒668-6101 兵庫県豊岡市湯島449 
  TEL / FAX:0796-32-0168

夏の自由研究はこれで決まり!海の世界をタオルに表現してみよう

 

ディスカバリー

キズナ チャンネル

 
 


 

 

女の子の口元から緊張感が伝わってくるね。 そして関係ないけど、スタッフ若い。。。


 

 
 

 

 

タオルだけでなく、こんなクッションも作れちゃうよ!


 

かばの写真だって昇華プリントならクッションにできる! テカテカの皮膚がリアル!


 

等身大のペットクッションまで作ってしまったよ!


 

金魚の写真をプリントして巾着も作れちゃう。

さらに夏を200%楽しむクッションづくりはこちらから

結果・・・

ポリエステル素材なら何でもプリントできてしまう!

 

それが昇華の魅力

 

ところで、みんなは、

 

世界最大の魚は何だか知ってる?


 

もちろん、絆工房のメインアイテムであるユニフォームも昇華でプリント!

 

実際にフットサルの選手が着用してくれてるよ! かっこいいね!

サッカー・フットサルイーグレッツ
オリジナルユニフォーム
 
9890嶋崎玖君

プロスノーボードプレーヤーの嶋崎兄弟も練習着に着てくれているよ!

 
 

ユニフォームだと、とても大きな昇華プリントの機械でプリントするんだ

昇華プレス機
 


 

そして、今回の「おっとろっしゃ」だけでなく、
沢山のお友達が昇華プリント体験をしてるよ!


 
 

 

 
 

不思議で愉快な魚たちと昇華の世界をディスカバリーしたけど、

楽しんでくれたかな?

以上、プリントを通して海の生き物の雑学を

ドーリーがお伝えしました。

またお会いしましょう!