黄金色に色づきはじめた11月の神鍋高原。学校と民間のちょうど中間地点で子供たちを育成したいと2011年『NPO法人かんなべ自然学校』を立ち上げた前田敦司さん(33才)。
標高のある神鍋はやはり山里よりも気温が低く肌寒いため、ストーブを囲んでの取材となりました。
■ 学校でも家でも出来ない教育をしたい
尼崎、大阪、東京と都会でデザイン会社の内装を手がける現場監督件営業マンとして
約10年ほど働いていた前田さん。
ー笠原「都会で働いていて故郷に戻ってきた理由はなんですか?」
ー前田さん「東京にいた時に東日本大震災を経験し、放射能影響が不安になってこちらに戻ってきました。
もともと好きな仕事が“ガイド”だったので、生まれ故郷の自然豊かな神鍋の地でガイドとして働きたいなと思い、ちょうど神鍋観光協会がジオパークガイドの募集をしていたので2011年からガイドとして働きはじめました。」
ー会長「どうしてこの学校を立ち上げようと思ったのですか?」
ー前田さん「2年間ガイドとして勉強した後、未来ある子どもたちに自然の中で何かを学んでもらいたいと思ったからです。学校でも家でも出来ない教育が出来たらな、と。学校はずっと同じメンバーで上がっていきますよね。でも私の学校は20人定員で年齢、出身、性別もバラバラ。いわば、社会の縮図です。」
ー会長「日本の学校教育は、詰め込み教育です。他の生徒よりも1点でもいい点数を取ることに努力しろという。そして頑張って日本の最高学府の東大に入ったものの、世界の大学ランキングで東大はトップランキングに入ってないんですよね。他の生徒よりも自分がとにかく上を目指し、いい大学、いい会社に就職した。そして、さらにいい営業成績を残して上司になって部下も出来た。その時に、部下への応援の仕方がわからないという問題に直面します。それまで他の人を蹴落としてでも自分が上に上がることだけを考えてきましたからね。」
ー前田さん「そうですね。この学校をNPO法人にしたのも、応援するし応援してくれる組織にしたかったからです。人は本来“有難う”という言葉を聞きたいものです。活動を通して子供たちには助けることの喜びを知ってもらいたいですね。“遊びの中に学びがある”と思っています。映画『のぼうの城』のような応援してくれる人が周りにいる人を育てたいですね。」
ー会長「今は、人から応援される力が高い人が成功する時代じゃないかな、と思います。だからこそ応援してくれる人を育てる事が必要ですね。」
■ 神鍋の魅力とは
ー笠原「ここ神鍋に自然学校を立てられましたが、神鍋の未来に対するビジョンがあったら教えて下さい。」
ー前田さん「スキー以外での神鍋ブランドを考えていきたいと思っています。お金を出さなくても来るだけで楽しい体験が出来る神鍋になれば、と思っています。」
ー笠原 「神鍋は既にいいものが沢山あります。その魅力に気づいていないだけで掘り出して磨いていきたいですね。玉石混淆の状態から宝石となる原石を掘り出していくんです。その為に、まずは理念を明確にすることが大切ですね。」
ー笠原「今後の目標についてお聞かせ下さい。」
ー前田さん「今は、前田敦司がやっている「かんなべ自然学校」というものを、自分が離れても運営できるようにしておきたいです。また、夏休みやGWとか休みの期間での活動が多く15プログラムほどあるのですが、1年を通しての活動をしてみたいな、と思っています。東京から田舎に戻って居心地はいいのですが、ともすれば、ぬるま湯状態になるというか(笑)。だから常にハングリー精神を失わないようにと思っています。」
■面白き事もなき世を面白く すみなすものは心なりけり
ー笠原「頑張っておられますね。活動していく中で感じる人との絆があればお聞かせ下さい。」
ー前田さん「学校を設立してから色んな人との絆がありましたね。地元だけでなく、愉快な仲間が沢山いますね。そうですね、例えば(かんなべ自然学校理事)田口幹也さんには仕事をきっちりするとはどういうことなのかも教わりましたし、人生の転機は、ゆかりさん(奥様)ですし♪本当に色んな人との出会いがありました。」
ちゃんちゃんこ姿が冬隣の神鍋の山にぴったりの前田さん。趣味は、「映画鑑賞」と「人と喋ること」という人懐こい丸い目をした彼と同じく組織を運営していく経営者の笠原。
お互いの視点からみた「神鍋」の将来について熱い会話のラリーが続き、あっと言う間に時間が過ぎていきました。
ー会長 「最後に座右の銘があればお聞かせ下さい。」
ー前田さん「先ほど述べたように、“遊びの中に学びがある”と、“面白き事もなき世を面白く すみなすものは心なりけり”ですね。」