進学を機に地方を離れると次世代がなかなか戻って来ない地方都市。
ここ豊岡も多くの地方都市と同じ人口減少問題を抱えています。そんな人口8万弱の我が街に、世界的な劇作家であり演出家の平田オリザ氏が自ら主宰の劇団「青年団」を率いて移住されています。
そして現在『芸術』地方都市計画を進行中。
その「青年団」のメンバーの一人であり6月に豊岡に転居してきた空間デザイナーがいます。
渡辺瑞帆さん。
若干28才ながら行政と地元民の架け橋になるべく東奔西走する彼女に今回お話を伺いました。
■ 『街を劇場にしたい』
― 笠原 「渡辺さんは出身はどちらですか?」
― 渡辺さん「東京生まれの東京育ちです。一人暮らしは、豊岡の地がはじめてです。」
― 笠原 「デザイナーということですが、どこで学ばれたんですか?」
― 渡辺さん「早稲田大学理工学部で建築学を専攻しました。建築学といっても、理工学部は、衣装ファッション、公共施設等のデザイン、そして構造設備の3つの専攻分野があり、私はそこでデザインを専攻しました。御社でされているシルクデザインも学生時代よくやりましたよ。原宿にある東郷平八郎が祀られている東郷記念館のソファの原画のデザインもシルクで手がけました。」
― 笠原 「空間デザインとは具体的にはどんなことをデザインをされてるんですか?」
― 渡辺さん 「店舗のディスプレイ、展示会での人の動き、それに応じた導線づくりや商品の配置をデザインします。」
4年間の学士後もさらに大学院で2年勉強。
― 笠原「もともとデザインが好きだったのですか?」
― 渡辺さん 「そうですね。私の通っていた都立高校というのは、文化祭となると全クラスが演劇するんです。1学年7クラスなので3学年あるので21クラスが毎日上演します。代々木公園で劇の練習したり、表参道をジャージ姿で歩いたり、赤坂離宮をマラソンをしたりして1つのものを皆で作り上げるような学校でした。」
展示会のデザイン構成、カタログ制作、PR活動、道具の責任を負うキューレーターの素地を高校時代に築いたそう。
劇は、俳優だけでなく、台本脚本担当、舞台装置担当、照明、音響等、全てが1つになって創り上げるアートプロジェクト。1つの目標に向かって同級生との絆を深めた渡辺さんは、大学に入ってからも数々の芸術を空間デザイン観点から取り組んでいきます。平田オリザ氏の『青年団』に入団したのもちょうどその頃。
― 渡辺さん 「劇団といっても私は、俳優ではありません。俳優というアーティストに伴走するキューレーターとして、空間という場所をデザインしていきます。」
― 会長 「卒業後の就職はどうされましたか?」
― 渡辺さん 「院を卒業してから3年ほど建築事務所に勤めました。両隣の席の先輩は大学校舎の建築に携わったり、海外の大きなプロジェクトを進めていたりしていましたね。皆海外を目指しているような環境でした。私もこの前タイのワークショップのデザインを友達と一緒に手がけましたが、やはり海外の人と一緒に働くのはいいですね。」
国内だけでなく海外の人ともしっかりと絆を築いて仕事をする渡辺さん。
― 笠原 「若い時に海外に行くのは非常にいい体験だと思います。自分のいるところから外に出ると、違いに気づきます。違う価値観が分かる。違いを排除するのではなく、海外で価値観の違う人間関係を築ける人間になってまた地元に戻ってくる。それが街を変えると思っています。環境は大切です。僕も会社の環境づくりに取り組んでいます。「楽しく仕事をする」環境づくりです。絆工房はオリジナルユニフォームを作る会社ですが、それは仮りの姿であり、ユニフォームを通して絆づくりをする会社というのが、真の姿なんです。」
■ 『キーワードは広場』
空間デザイナーの知識はもちろん、色んな学術分野にも精通しているのが会話を通して伝わってきます。ゆっくりと穏やかに話す一方で、質問するとその内容に沿った歴史的事実や文献を引用しながら、自分の学んだ体験や感じたことを理論的に話す彼女。引き出しを沢山持っている才色兼備な女性。
ー渡辺さん 「時間単位で計画通りにきちんと物事を進んでいくのが好きですね。ただ没頭すると体を壊すまで働いてしまい、良くないですね。」
ちょうど取材日の前にも東北地方のプロジェクトや奈良のプロジェクトに飛び回り、その結果風邪を引かれたらしく取材中も咳をされていた渡辺さん。そんなエネルギッシュな彼女が、人口減少によってシャッター商店街が広がるこの土地を、空間デザイナーがどうフランスのアビニョン演劇祭のような世界最大の国際演劇祭を開けるような豊岡へと変貌させるのか。
― 渡辺さん 「大事にしているキーワードは『広場』です。人が集まるようなパブリックハウスのような、人間らしくいれる広場を豊岡で創りたいです。イギリスのお酒を飲む場所「パブ」、この語源は、パブリックハウスといって社交場、情報交換の場所でした。豊岡でもそういう広場があちこちに点在し、人が動き、芸術が生まれ、集まる広場を創りたいです。駅を降りたら歩いていける劇場があり、そこにたどり着くまでに人が集る広場が点在している街全体が1つの劇場のような街。人の動きの導線作りのための土地を探していると、よく使用目的を聞かれるのですが、私が決めるものではなく、皆が話しあいながら決めていくものです。私はキューレーターとして皆さんの想いをお手伝いする立ち位置として活動しています。」
― 笠原「芸術で街を潤すのは大変なことです。」
― 渡辺さん 「そうですね。IT企業が来るなら直接的経済効果はあると思います。ただ、芸術というのはもっと2次的なものです。人生をより良く、そして、人生の幅を広げるものが芸術です。」
― 笠原 「技術は再現性があり、芸術は唯一無二。人間は時間と空間の制約の中で人は生きています。この世は所詮大いなる暇つぶしと言われています。その制約の中で、人生の演者として檜舞台で楽しんで仕事をする。そうすることで人は成長していきます。そういう意味では芸に通じるような仕事の仕方が大切ですね。僕は常にスタッフがそういう仕事の仕方ができるような仕組み作りに取り組んでいます。」
― 渡辺さん 「東京にいたら稼ぐ手段はいくらでもありますが、私は来年の自分が予測できるようになったら終わりだと思ってます。今やっているバイトをこの先10年もしているのを予測できるような仕事ではなくて、ですね。」
― 笠原「そうですね、時給の仕事は終わりの時代に入ってきてるんじゃないかな。」
― 渡辺さん「学生時代もその時できるようなバイトはせずに、自分しか出来ないことをやってましたね。東京から来たというと、豊岡の方は、よくこんな田舎に・・と言われますが、豊岡はとても素晴らしい街です。ここで本当の革命を起こしたいですね。」
― 笠原「イノベーションは、若者、よそ者、馬鹿者から始まる、と言われてます。頑張って下さい。」
取材が終わったのが夜でしたが、翌朝は高校で話しをするという彼女。「家に帰って、話す内容をまとめないと。」
新しい土地で、新しい人と絆を築き、近い将来、豊岡で小劇場が点在し、芸術を愛する若者が溢れるようになった時その時、再び彼女の取材でみせたしなやかな瞳の輝きを思い出すはずです。
以上