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【経営者の仕事は環境づくり】No. 56 代表取締役社長 笠原泰藏

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絆工房代表取締役

今回の取材は当社代表取締役兼会長笠原

いじめられっ子だった幼年時代から勤めた会社が1年足らずで倒産したサラリーマン時代
そして絆工房誕生秘話までを紹介します。

若者がこぞって企業する時代で
会社を起業するよりも、継続することが難しいと言われる中で今年7月で創業37年を迎える絆工房。
改めて考える「継続する会社を経営すること」について熱く語ります。(いつも熱いが・・・by聞き手)

戦いに破れ続けた幼年期

ーどんな性格?

負け嫌いな性格。
負け嫌いは負けず嫌いとは違う。

戦わずして負けるのが負けず嫌い。
僕の場合は、戦って負けている。沢山負けた。
年少期はいじめられっ子。
悔しくて、そういう自分が嫌いだった。

家では父親から常に「勉強しろ」と毎日言われ続ける。

高校卒業後、本当は絵、デザイナーの道に進みたかったが、父親に反対され、
「絵では飯が食えん!」の一言で、親の進めた大阪の会社に就職。

時代は高度成長時代。
執着すればその会社に滅私奉公で就寝雇用するのがふつ〜うの生き方。

2年ほど働き、親から実家に戻ってくるよう言われUターンし地元で就職。
それでも「自分の特技(デザイン)を飯の種にしたい」という気持ちはくすぶり続ける。

そんなある日、何気なく手にした週刊ポストのシルクプリントのフランチャイズ店の募集欄に目が留まる。
早速応募。
もちろん父親からは怒られたが、借金を抱えて独立起業。
しかし、この会社が1年も経たずに倒産。
残されたのは借金のみ。

さらに、追い打ちをかけるように肝炎になり医者からは、やがて肝硬変ー肝がんに進んでしまうと告知。
沈みゆく夕日の朱に帯びた空の情景が今も目に焼き付き忘れられない。

幸い肝炎は完治。
多額の借金をかかえたままシルクプリント事業を背水の陣で取り組むことに。。。

いじめられっ子
デザインの夢断念
倒産
病気と
幼い頃から戦いにことごとく負け続けていると次第に
「どうせ、俺なんか所詮・・・」という思考回路に陥る。

自己肯定感の低い暗澹たる思いの20代を過ごす。

初めての成功体験とは

ーその心の状態からどのように脱却したのか?

2つあるが、1つはテニスでの成功体験。
好きこそものの上手なれというように、3度の飯よりテニスが好き。

どうやったら上手くなれるのか、そのことばかり考えていた。
好きなテニスの事となると寝食忘れて没頭。
まさにゾーンに入るという表現がぴったりの心境でテニスにのめりこんだ。

そして、試合に勝つようになると素直に嬉しい。
じゃあ次の試合までにはもっと今より状態しようとさらに練習に没頭。
その繰り返しの中で成功体験が増えていき、気がつくと低い自己肯定感の自分から脱皮できた。

変容<メタモルフォーゼ>

さなぎから蝶に脱皮するように、自分に自信がついた。
好きというのは、原動力なる。

もう1つの原動力は、本来の負け嫌いという性格。


今でこそ若者の起業が当たり前の時代だが、
37年前は、
「勉強していい学校に入らないといい会社に入れない。だから勉強しろ。」
と父親の言葉が呪文のように心を縛る。

時は高度成長時代。
就職すればその会社に定年まで滅私奉公するのがふつ〜うのサラリーマンの生き方。

だから、集団就職、年功序列、定年制と、一億総中流意識だった時代にサラリーマンをやめて
独立するというと父親は猛反対。


周りの人たちも、
「キギョウ?なにそれ、美味しいの?美味しくないなら辞めとけば」と。

まさに四面楚歌。
アウェイの状態で会社をスタート。

絆工房笠原泰藏

借金も抱え、家族も抱え、後がないということもあり、
がむしゃらに働くこと2年。

ようやく、借金を返済し事業も軌道に乗り始めたのが40代間近。
そしてこの年齢はというと、地域の役を頼まれる年齢、いわゆる厄年。

消防団の役
PTAの役
商工会の役と地域の役も引き受けるようになり、
正確には引き受けざるをえない状態に。
それは布石を打ったから。

役員の打ち合わせで意見を述べるとよく
「経験もないのに知ったような口を聞くな」と長老たちに軽くあしらわれ、
言われた瞬間はもちろんショックでがーーーーん!!

しかしその次の瞬間には、意外に冷静になる自分がいて
「だったら俺が引き受ける!」
やってやろうじゃないか精神。
開き直り。
反対されると逆に燃えるタイプ。

このようなことを繰り返していると、
消防団分団長
PTA会長
人権啓発推進協議会役員
豊岡市商工会日高支部長
神鍋高原道の駅社長
と雪だるま式に役を引きつける結果となる。

そして「長」という役に就くと、否が応でも人前で話す機会が増えるもの。

自己肯定感ゼロの頃は、人の前で話すなんて大の苦手だった為(今でも嫌い)
責任のある仕事や役は逃げ回っていた。

ーなぜ引き受けるようになったのか?

トヨタ自動車会社社長、豊田章男氏いわく、
「怖いところに突っ込んで行く方がむしろ安全」だから。

そしてどうせやるなら面白くしようと。
誰にも言われるに始めた2週間に1度の商工会おひねり勉強会も6年、通算128回開催。

with コロナ時代のこれからの会社経営

絆工房笠原会長

デザイナーのはしくれとして
「究極のオリジナルTシャツをつくりたい」という思いでスタートさせて絆工房。
設立当初は、有限会社マジック。

マジックの由来は、
Tシャツで人をマジックのようにびっくりさせたい
そして、好きだったイエローマジックオーケストラYMOのマジックからとった。

平成25年4月には、マジックから絆工房に社名変更。
ユニフォームというのは、チームで着るもの。
そのユニフォームにお揃いのデザイン、エンブレムが入っているものと、入っていないものとでは
必然的に試合に臨む心意気も違ってくる。

会社はユニフォームという商品を通してチームの絆を表現したい
という意味を込めて社名変更。

お客様にマジックのようにびっくりするユニフォームづくりから
絆を深めるユニフォームづくりへとバージョンアップ。

そのコンセプトは、絆づくりこそ至福の人生を歩むこと

人生の幸せとは

何事も原点に還ってみると問題が見えてくる。

なぜ生きているのか
なぜ仕事をするのか

例えば、
なにか仕事で行き詰まった時に、そこにうまく進まない要因、つまり隠れたサインがあるはず。
それを読み解き、現象から示唆・導きを捉える。
目の前の出来事を短絡的な良し悪しで判断してはダメ。

絆工房笠原泰藏

コロナも然り。
一体何のサインかを読み解く。
現象からサインを読み解くことが大切。

そしてそれを肯定的にとらえて解決していく。
ワクチンが功を奏しても、社会はもう以前の生活には戻れない。
だから後戻りをせずに肯定的にとらえて前進していきたい。

努力ー勇気ー覚悟ー開き直りの順番で進んでいく。
決死の覚悟で進んでいき、それでもダメな場合。

開き直り。開き直ってやるしかない。

宮本武蔵も
「命をなげうつ者ほど強い者はない。」

開き直って物事に当たると経験値を超えたところの発想が生まれてくる。
シナプスが発火するという感じで持っている能力以上のものを発揮する場合がある。

スタッフがそういうフローな状態で仕事ができる環境づくりを経営者として作っていきたい。

経営者の仕事は環境づくり

会社は、同じ目標を持った者同士が集まるところ。
桃太郎の話を例えるなら、
鬼を退治するとい目標をもつ桃太郎のもとにキジや猿が集まった。
キジはキジの役割
猿は猿の役割がある

絆工房も、それぞれのスタッフが自由意志のもとに
自分の特技や能力を思いっきり発揮できるような組織を目指している。
最近では、そんな組織をティール型組織と定義されているが、
絆工房もそういう組織を目指して環境を整えていこうと思う。

ーそう思ったきっかけは何か?

11年前に出会った1冊の本。
ブラジルのセムコ社のリカルドセミナー著
『奇跡の経営』のとの出会い。

セムコ社は、社員に対し徹底した情報開示と社員のコントロールの放棄をしている会社。

「人に言われたからやる」
「上司に言われたから仕方なくやる」というのではなく、
自分が好きだからやるというような雰囲気のある会社。

好きなテニスならアスファルトのコートがフライパンのように熱い中でもやる、
好きなゲームなら親に隠れてでもやる、
好きな教科の勉強なら延々と難問に挑戦する

仕事も同じようにゲームのように没頭できるような環境づくりをしたい。
趣味が高じて仕事になったと言われるが、まさにそんな感じで仕事に打ち込めるルールをづくりを目指す。

コロナをきっかけでに新しい時代が始まろうとしている。
新しい時代ではそれに対応できる人や組織だけが生き残っていける。

今まで隠されていたモノがあぶりだされてきている。
そのモノに対してどう対応すべきか。どうサインを読み解くか。

ーどう読み解くのか?

それは原点に還ること。

原点に還ると答えは自ずと見えてくる。

以上

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