宝永3年(1706年)、出石藩の松平氏からバトンタッチで国替えになった信州出身の仙石氏。藩主についてきた蕎麦職人によって広まったのが出石そば。
50軒近くの蕎麦屋が軒をつなげる出石の町に、昭和51年創業、今年で創業41年目になる出石手打ち皿そば「甚兵衛」があります。今回は、創業者の渋谷さんに話しを伺いました。
渋谷さんは若い頃、織物業の父親の跡を継がれます。
出石は当時、400人もの女工さんたちが織物工場で働いており、「(織機を)ガチャンと織れば万の金が儲かる」と言われるほど出石は“ガチャ万景気”に湧いていました。
しかし次第に着物の需要も減少。さらに追い打ちをかけるようにオイルショックによって織物業は大打撃を受けます。もともと蕎麦が大好きだった渋谷さんは、お蕎麦の店をやろうと決意。
「周りは、“素人がそば屋をやって大丈夫か?”と反対されましたね。」
渋谷さん33歳の時でした。
ー笠原 「反対されたということで大変じゃなかったですか?」
ー渋谷さん「不思議とそれはなかったですね。苦労もそれほどありませんでした。何より蕎麦が好きでここまでやってきましたから。この店のモットーは、“ 美味しい蕎麦を、掃除の行き届いた処で、気持ちよくいただいてもらう”こと。今まで利益が入るとすぐに増築と改築を繰り返して店作りをしていました。」
取材にうかがった時はちょうど開店前の朝の時間。
すでにお店全体の空気がお客様を気持ちよく迎える空気に変わっています。
店には優雅に泳ぐ大きな沢山の錦鯉が目を楽しませてくれます。
耳を澄ませると水の流れる音。
ー渋谷さん「最初は、BGMとして音楽を流していたんですが、どうも味気ないので、水のせせらぎの音が一番しっくりとしました。」
そして、暖簾をくぐって奥に進むとお茶を嗜む渋谷さんの「もてなし」と「しつらえ」の美しい中庭。炉もあった茶室を改造したお座敷を含めて席に着くまでに歩く路地の左右には150年もの夫婦杉や鹿威しがあり、とても情緒豊か。
目で楽しみ、耳で楽しむ、店先から店の奥まで一貫してお蕎麦を五感で楽しむ渋谷さんの仕掛けづくりが随所にちりばめられています。
■男の財は友なり
ミシュランガイドで『ビブグルマン』を獲得したのをきっかけに2、3年前から外国人客も増えてきた甚兵衛。
そして、3年前に法人化した時に同時に社長職をお婿さんにバトンタッチ。
現在は、会長職として、“蕎麦”という食文化と違った側面から出石の町の街の仕掛けづくりに東奔西走。
但馬國出石観光協会の顧問、「いずし落語笑学校」校長、大向う鸛の会会長、NPO出石町家再生プロジェクトA理事長としても忙しい毎日。
いずし落語笑学校では、アマチュア落語家として永楽館で落語も披露。
ー渋谷さん「同じ蕎麦店経営者であり仲間でもある「花水木」の店主を含め、仲間4、5人でいつも、これからの出石について語り合っています。少人数での話し合いが一番コミュニケーションがとりやすくスピーディーです。何よりも一体感があります。」
集合場所は、喫茶店もある「花水木」。そこで、出石の未来の議論が熱く飛び交っています。
さらに、娘さんの順子さんも、「楽しも!出石」をコンセプトに活動している女性グループ「すいっち」のメンバーとして活躍。
4月には経王寺のライトアップされたしだれ桜の下で、 但馬のおいしいお料理、かわいい雑貨を出店するココテラスを企画されました。
お父様である渋谷さん曰く「女性の方が行動力が早い!」。
親子で出石を盛り上げます。
—笠原 「最後に絆を感じたエピソードがあれば教えて下さい。」
ー渋谷さん「ほとんど苦労という苦労はなく順調にきましたが、全くなかったわけでもありません。若い頃から2人3脚でやってきた女房がガンになった時はどうしようかと思いましたが、今はおかげさまで元気です。その時も家族や周りの人の支えで乗り越えてきました。そう考えるとやっぱり人との繋がりが大切なんだと改めて思いますね。」
ー渋谷さん「今まで何か行動を起こした時は必ずそこには友達の力がありました。お店を持つ時も友達が応援に駆けつけてくれて手伝ってくれましたし、今の仲間もそうです。『男の財は友なり』と私は思っています。世の中は絆で動いているんじゃないかと思いますね。」
丸い顔に優しい眼差しの渋谷さんは知らず知らずのうちに人を惹きつけ周りに人が集まってくるような幸せを呼ぶ福相の持ち主。沢山の友を財産に、仲間達と太くて永い出石の明日をこれからも打っていただきたいと思います。
出石手打ち皿そば 『 甚兵衛 』
〒668-0256 兵庫県豊岡市出石町小人14−16
TEL 0796-52-2185