メインコンテンツにスキップ

昇華プリント専門|オリジナルウェア・ユニフォーム制作|絆工房

【絆のカタチ】No. 12河西ふとん様

絆工房と河西ふとん

 

絆工房と河西ふとん



今年も既に永い一月も過ぎ去り、二月も早、半ば、あなたの夢は叶いそうですか?
さて、今回の絆のカタチは日高バイパス交差点に店舗を構えられている「河西ふとん店」の河西栄治(39歳)さんをご紹介します。
現社長の栄治さんは末っ子、銀行マンだった頃からオヤジの背中を見ながら育ってこられました。
その親父(現相談役)さんも祖父の後を継いでこられ、栄治さんは三代目となります。
そんな栄治さんが絆について語ってくれました。
 「創業77年となる河西ふとん店、歴史もありそれなりのプレッシャーを感じながら親の後ろ姿を追いながら、
何とかここまでやって来ました。その陰には祖父、親父と繋いできた店に対する思いや物語が連綿とありました」と・・・
多分それが絆なんだろう。
また「オヤジには自分に無い何かがある。それは人情味と徹底した『けち道』です。
何かに付け「もったいない」とすぐ口から出る。 
電気器具の扱いでもよく言われました。
小さい頃はよく反発したものでした。
私はその話をお聞きし、そこにこそ儲けの基本があると思いました。

商売の鉄則は如何に安く仕入れ高く売るか!です。 
だからといってボッタクリはいけません。
その差をアイデア、工夫、サービス、世界観で満たして上げて初めてお客さまは喜んで買って下さる。 

ですからオヤジさんの『けち』の陰にも目には見えないが沢山のアイデアが埋め合せされていたのだと思いました。
今のバイパス店も多大な投資をされて現在がある、
決して『けち』だけでは出来ないことですね。
また、77年の永きに於いて築いて来られたお客さまとの『絆』は大きな財産です。

その財産に頼るのではなく活用して行こうと、栄治さんはじっくりと考えて話してくれました。
『眠りについての提案』その一つがエコな暮らしに役立つ「めん綿の打ち直し」、これからの時代に必要とされるリサイクルビジネス。

絆工房と河西ふとん


布団は毎日使うモノ。
人の身体にとって一番いい物を探し、作り、提案し、お届けする。
『眠りについての専門家』に掛けていくとのことでした。
栄治さんは店に入って12年、社長となって2年、当にこれから先代の期待の元、河西ふとん店を担っていこうと決意を新たにされている事がお話しの中から伺えました。 地元日高町で頑張る若き経営者を私も陰ながら応援させて頂きたいと思いました。快く取材に応じて頂き感謝!です。   
 
以上
他の取材を読んでみる

【絆のカタチ】No. 13卓球ロードスカイ様

絆工房とロードスカイ

絆工房とロードスカイ

すっかり季節は春になり、新たな芽吹きをあちこちで感じる時期になりましたね。  
  入学式、入社式、毎年この時期にやってくるイベントにもかかわらず、春が来て夏になり、秋を迎え、また冬に入って行く・・・
そして春がやってくる。
必ずやってくる。
みんな心をときめかせる。
この繰り返しこそがストーリーそのものだと云うことを強く感じさせてくれる今日この頃です。
さて、今回の訪問先は日高町山本に在る「ロードスカイ卓球場」です。

絆工房とロードスカイ
絆のカタチを求めて、オーナーの谷口隆夫さんからお話しを聞かせて頂きました。
谷口さんは現在57才、中学生の頃から卓球に目覚め将来卓球選手を目指すも、夢破れ卓球から一旦は離れましたが、
その想いを捨てきれず1990年に「ロードスカイ」というチームを作りました。

そして新体連全国大会35才以上の部で2年連続準優勝から間もなくジュニアの部を創設。
小学生を指導する立場となり育成に邁進するが、自分一人の限界を感じ以前から交流のあった中国選手を選任コーチとして招きました。
その時はまだ勤め人でしたが2001年に退職し卓球専用体育館を自己資金で建て、現在11年目の春を迎えています。

絆工房とロードスカイ
そんな経歴の谷口さんからはエネルギッシュと言う言葉より、とても静かに燃える闘魂を感じます。
趣味の延長線の仕事として取り組んではいるが、
何より事業を継続発展させていく動機は、手塩に掛けた子供達が大きく成長してくれる姿が一番のエネルギーになっている。
子供達が成長していく喜びは、生徒自身にとっても谷口さん彼自身にとっても大きな喜びである。
私(笠原)は以前聞いたこんな言葉がある。
それは「成長とは青虫が葉っぱを沢山食べて1cmが3cm、6cmと大きくなることではない。
青虫が勇気を出しサナギになり、殻を破り大空に羽ばたき蝶になることだ。 
大空に舞う世界は決して地ベタでは味わえない世界である。成長とは住む世界が変わることである」と。 
 
以上
他の取材を読んでみる

【絆のカタチ】No. 14但馬寿様

絆工房と但馬寿久村

絆工房と但馬寿久村

梅雨の晴れ間をツバメが忙しく電線をかすめて飛ぶ姿を眺めています。    今年はツバメの訪れが遅かったような・・・
すこし心配してしまいました。
去年の3・11の地震・原発放射能、あるいは温暖化、いろんなコトを思い巡らし、不安のネタを創り出してしまう。
今日も雨です。良い天気も、悪い天気も、自分自身が創り出してしまうのですね。
良くも悪くも!
さて、今回の訪問先は温泉町の「株式会社 但馬寿」さんです。 但馬寿さんは本社(設立・昭和27年)が米子にある寿スピリッツ株式会社のグループ企業の一つです。
現在、親企業の寿スピリッツさんはジャスダックへ上場していて、とても優秀な会社です。
そんなグループ企業の一つ, (株)但馬寿を任されている、常務取締役/久村謙藏さんから絆についてのエピソードを伺って参りました。

それは「遊月亭」という詩に込められた誠に悲しくも勇気に満ちた物語です。
それは15年前、但馬寿に勤める女性社員さんのご子息が、交通事故に合い亡くなられると言う知らせから始まりました。
深夜、雨の降る中、鳥取からの帰宅途中に起きました。
カーブを曲がりきれずトラックと正面衝突するという痛ましい出来事でした。 彼女にとって余りに突然の訃報、大切に大切に育てて来た息子さんに先立たれた事実はとても受け入れがたいコトでした。
それからの彼女は失意のどん底をさまよい、とても仕事が出来る状態に無かったと聞きました。 そんな彼女のことを気遣い、本社の河越社長が上司の久村さんに「生きがいの創造・飯田史彦 著」と言う書物を託しました。

絆工房と但馬寿
河越社長は「彼女に何もしてあげられないが、せめてこの本を渡してくれ」と手渡されたのが今回の物語を作り出すきっかけとなった本です。
その本の内容は、人の過去は変えられない、と多くの人は思っているが、実は変えることが出来る。 
考え方を変えればどんな過去も変えることが出来る! 
そして、その苦難から学び、より良い人生を全うすることがこの世に生を受けた我々に与えられた使命だと言うこと。
彼女の場合、交通事故で息子が他界したと言う事実は変えられない、が、その捉え方は変えられる。
『悲しい』から『ありがたい』へ・・・
もちろん一足飛びに彼女も変われた訳ではありません。
彼女は彼女なりに悩み、悲しみに打ちひしがれながらたどり着きました。   その道中、多くの方から励まされたり、同じ境遇の方の話しを聞きに出かけたりしました。
やがて、彼女の心の中には確信に満ちた思いが生まれました。 
「自分は『何かを伝えるために生まれてきた』、息子の死がその役割を教えてくれた」

どんな状況でも勇気を持って自から手を差し出すと、その私の手を取って応えて頂ける。 この世にはそんなありがたい絆があると言うことを。
今度は私が皆さんに感謝の気持ちをお返ししたい。
それは私の生き様、メッセージであり使命だから。
ある晩、彼女を慰めるための食事会が持たれました。
その帰り、ふと見上げた満月の中に幼子の姿が見え、その中の息子が
「母さん、僕は大丈夫だから」と言ってる様だった、と彼女から告げられた。
そこから「遊月亭」と言う暖かい想いが込められた応援歌が生まれました。
ちなみにこの歌は但馬寿の社員の方が創られたそうです。
そして彼女なりに出来る事、趣味でもあったパッチワークの敷物とお礼のお手紙を同封し、 お世話になた方々に送られた様です。

絆工房と但馬寿
そうすると、どうしたことでしょう! 
彼女の担当である通信販売の部の成績が劇的に伸びたではありませんか!
今では但馬寿の「通販の母」として会社からもお客さまからも愛される存在だと聞かされてもうのもうなずけます。
このCDと言い、書物と言い、どれも絆がカタチになったモノ。 
中でも「遊月亭」のエピソードは但馬寿さんにとって、すばらしい絆のカタチですね。
本当に但馬寿さんの社員さんの絆を感じました。
この絆がある限り益々発展されることだと感じました。 今回も素敵な絆に出会えた事に喜び、感謝したいと思います。 ありがとうございました。久村さん。
 
以上
他の取材を読んでみる

【絆のカタチ】No. 15村岡ファームガーデン様

絆工房と村岡ファームガーデン

絆工房と村岡ファームガーデン

 

暑かった夏も、もう終わろうとしています。
蝉の鳴き声もどこか寂しそうに聞こえます。 特にヒグラシは・・・
オリンピックの祭典も終わり、ぽっかり心の中に穴が空いたような気分ですね。
さて、今回の訪問先は国道9号線沿いに在る「村岡ファームガーデン」支配人の田丸さんです。 今日はどんな絆のカタチが伺えるか楽しみですね。

早速、道の駅「村岡ファームガーデン」のレストランに通されました。
後で話に出て来ますがここは但馬牛の本場です。
その但馬牛がショーケースに並んでいます。
思わずヨダレと笑顔がこぼれてしまいました。 現在田丸さんは56才、生まれも育ちも生粋の村岡っ子、。

一時は都会暮らしも経験したが、ふる里にUターンし、ハチ北でのペンション経営に夢を見いだし約20年取り組まれましたが、
現在のファームガーデンの面倒を見ることと成りました。
そして13年過ぎました。現在も順調に実績を伸ばしてます。
しかし、田丸さんの人生の変遷は決して楽なモノでは無かったようです。 元々第三セクターで運営されていたファームガーデンは赤字体質で閉鎖一歩手前の状態でした。
そうした中、運営審議会のメンバーでもある田丸さんが一向に進まない現状に業を煮やし、
田丸さん自らが経営改善策を公社の社長でもある町長に進言することにしました。
そうすると何と「言い出しっぺのおまえにこれを任せる」と言うことになり引き受けざるを得なくなったのでした。
彼は大変悩みました。
家族会議までも開いた結果、20年営んで来たペンションを放りだし、
「株式会社むらおか振興公社ファームガーデン」を背負うという決断をする事と成りました。

絆工房と村岡ファームガーデン
たくさんの問題が山積しています。
とりわけ組織の大改革を断行しメンバーの一新は避けて通れないと言うこともありました。
そういった不安を抱えながら移った訳です。
しかし、取り組んでみると、
「田丸がやるなら行ってやらねば!」
「知らない仲や無いからな!」と駆けつけてくれました。
それまでに築いてきた方々との絆が大いに助けになった。 
これがまさに絆ですね!、
赤字体質の事業の転換を見事に果たし、一年目から黒字となりました。 

そんな田丸さんのDNAにふる里但馬の景色が刻まれています。 
小さい頃、オヤジと山に登った時も、緑の山々に囲まれた青い空を、引き込まれるように飽きもせず、ず〜っと眺めている様な子供でした。 ファームガーデンに移ってからも但馬牛を始め大納言あずきまで、但馬には沢山の恵みが溢れている、にもかかわらず、
その魅力がお客さまに伝わっていない・・・。
「何とかしたい」・・・
過疎化していく我がふる里に於いても生活が成り立つようにしたい。 生まれ育った愛するこの地を何とか盛り上げたい・・・。
今この思いがむくむくと起き上げって来ていると。ここにある商品は田丸さんの心意気が感じられる商品ばかりです。 
地域との絆を新たに作ろうと頑張っている田丸さん、頑張れ・・・、
益々のご活躍お祈りしています。
絆工房と村岡ファームガーデン
他の取材を読んでみる

【絆のカタチ】No. 16ガンピー・穀物倉庫の社長、田原 吉美様

ガンピー・穀物倉庫の社長、田原 吉美

ガンピー・穀物倉庫の社長、田原 吉美

 

季節の過ぎ行くのは早いもので、もう師走になってしまいました。
私はもう五十八になりました。 
人生の半ばはとっくに過ぎ去り、八十歳まであと1/4を残す歳となりました。 

今回は私より一回り上ですが元気な先輩からお話をお伺いしました。 ガンピー・穀物倉庫の社長、田原 吉美さんに絆づくりについてお話をお伺いしました。
豊岡市日高町江原駅前にあります。

田原社長は三十年前に創業され、一代で築き上げられました。
元々、神鍋出身の田原さんはJAにお勤めでした。 
人一倍仕事熱心で、上層部と絶えずぶつかっていました。 
当時の状況をなんとか変えていきたいという思いが独立の道を選ばせました。  ここで大きく別れるんですよね、・・・安全・安定を一番に考えるか、リスクの上に成り立つやりがいを取るか。 

田原さんはリスクを取られました。 
決して楽な道のりではなかったと思います。

傍目には羨ましい様に映りますが、リスクを取ったゆえ、なかなか大変な様でした。
売上のピークは15年前、それからは拡大路線から縮小路線へ方向転換をし現在に至っています。 

それに立ち向かうべく現在組織変革から取り組んで新たな世界に挑戦していると聞きました。 もう一度、会社を起こした原点に立ち返り再出発をしようと。 

当時田原さんが作った『愛ある食卓文化を提案し地域社会に貢献する』という
コンセプトに基づき考え直したら「楽しく仕事をする」が出てきた。 
如何に社員が喜んで働き、そしてお客さんも喜んで頂く、そんなことが出来るんだろうか?・・・

悩んだ末、7つのリーダー制組織が誕生しました。
・儲けて幸せにする課リーダー ・人を元気にする課リーダー ・お客様を増やす課リーダー ・設備を長持ちいつも綺麗にする課リーダー ・楽しい仕事をする課リーダー ・お客様をファンにさせる課リーダー ・但馬を元気にする課リーダー
そんな「楽しい」を真ん中に活動できるメンバーが集まり企画したイベントが10月27・28日のガンピーハロウインパーティーでした。

ガンピー・穀物倉庫の社長、田原 吉美
こんな楽しいワクワク感あふれるイベントを、スタッフのメンバー自らが面白がってやらかす・・・
お客様満足100%に向けた組織づくり。
決して無味乾燥な価格競争に巻き込まれずに、これからは社員と、お客さんと、仕入先さんが、渾然一体となって
「愛ある食卓文化」の提案による絆づくりを目指されていくことでしょう。
私共も目標にさせていただきたいです。 こんなお店や企業が増えることで地域は真に再生していくと信じています。 すごく期待し応援しています。
 
 
他の取材を読んでみる

【絆のカタチ】No. 17映像作家/写真家 藤原次郎定様

絆工房藤原次郎様

絆工房藤原次郎様

 

2013年も早二月に入りました。
皆さんの今年はどんな年にする予定ですか?
テレビからは相変わらず悪いニュースが流れてきます。 
しかし、考えてみてください、戦時中は戦地での勝利のニュースしか流れて来なかった様です。
と言うことは今の時代は平和なんだと言うこと、何だかんだありますがとにかく感謝しないといけないですよね。
悪いニュースにフォーカスしたってしょうが無い、今の自分が在ることの幸せを見い出しながらやりたいもんですネ。
さて今回の絆のカタチは映像作家/写真家の藤原次郎(57歳)さんです。
私(笠原)より一つ若い。 わたしとJiroさんはFacebook繋がりです。
もちろんお客さまでもあります。
特に「但馬スケッチ」上映会を見に行ってからはリアルで仲良くさせて頂いてます。
Jiroさんはとにかくスゴイんです。
数々の国際映像コンテストの受賞歴を持つておられ、あの世界的建築家・安藤忠雄氏にも認められ
現在スゴク活躍されている朝来市の出身のカメラマンです。
そんなJiroさんがなぜ映像と写真を目指したか!、その絆に迫ってみましょう。 若きJiroさんの少年時代の出来事でした。
性格がおとなしくシャイなJiroさんが高校生時代にコンパクトカメラを持って撮りまくっていたら
近所に住んでいた新聞記者の目にとまり
「君はよほど写真がすきなんだな、だったら本物を使え」と言って当時のプロのカメラ、ニコンフォトミックを貸してくれた。

彼は自分の小さい頃に重ねそんなJiroさんを応援したいと思われた様です。 
Jiroさんの人生に取って大きな出会いだった様に思います。
間もなく大阪芸大を出て建築関連の写真を仕事として働き出しました。
しかし仕事とはいえ依頼された仕事ゆえ、ある意味ストレスを貯めていた頃、約20年前に和田山ジュピターホールで
第九を歌う企画がありました。それは悶々とした日々を送っていたJiroさんの作家魂に火を着けました。
誰の依頼でも無く自らがドキュメンタリーを撮る決意をし芸術家の道を踏み出しました。
これはある意味「開き直り」にも似た思いだったのでしょう。 
そう言った時にまた出会いがあり絆が繋がりました。 
但馬学研究会の浜野さんに誘われ、その活動の中で但馬の風景を撮り出しました。
「なんたんまちなみたんてい団」の書物を元に撮り貯めたものが「但馬スケッチ」としてまとめられました。
動画ではありますが、定点カメラに固執し不思議な世界を醸し出し、なぜか私たちの魂の深い所で懐かしさにも似た
感情が沸き上がって来ます。
コンクリートジャングルの都会で暮らしている人達が癒されるのが解るような気がします。
以後、Jiroさんは但馬の風景に魅せられ、想いを入れ、ここに自らの世界を見つける事になります。
また、地域の景観写真を利用した「風景の地産地消」プロジェクトも取り組まれていて地域活性化にも熱心に活動されています。  私もJiroスピリッツの世界を及ばずながら精一杯応援させて頂きたいと思います。

 

以上

【絆のカタチ】No. 18BITO R&D・美藤定様

絆工房 BITO R&D・美藤定様

 

絆工房 BITO R&D・美藤定様

 

 

桜も散って新緑の季節を迎えました。
卒業式があり、進学がありこの時期は新たなスタートの季節ですね。
今回のニューズレター、絆のカタチはこの時期にふさわしい方をご紹介します。
世界で活躍されている美藤 定(62)さんです。
奇遇にも私の高校時代の先輩でした。
そんな美藤さんから映画が一本出来るような波瀾万丈な人生を熱く語って頂きました。
現在、株式会社 ビトーアールアンドディーはレース用バイクのチューンナップ用品の分野で
世界的に有名なメーカーとして君臨しています。
しかし、当然ながら若かりし頃の彼に今の成功が見えていたわけではありません。
勉強が出来るわけでも無く、何の取り柄もなく周囲からは厄介者的な存在でした。 
高校時代バイクを乗り回し事故って警察に捕まったりと、もう散々な日々を送っていました。 
そんな彼の人生を変えるキッカケが訪れました。 

大学受験を失敗し、やけになっていた19歳の夏、沖縄が日本に返還ニュースが飛び込んできました。
片田舎にくすぶっていた彼は妙に心惹かれ沖縄を尋ねる決断をしました。
しかし彼には旅行が出来るお金がありません。
ですからリュック一つ背負って野宿と歩きで行くことにしました。
沖縄に着いた時にはたったの1万円。
その沖縄のビーチで運命の出会いがありました。
それは米国の兵隊でした。

彼らは南国の浜辺でビーチバレーしたり、ビール片手に美味しそうなバーベキューをしたりと、 
実に楽しそうにはしゃいでいました。
そんな彼らを遠くで羨ましく眺めていたところ、若い米兵が声をかけて来ました。
つたない英語単語でのやり取りでも直ぐに若者同士ということもあり仲間に溶け込みました。

何日か一緒になって楽しく過ごしていたのですが急に彼の表情が曇り、やがて目に涙が溢れているのに気付きました。
そのわけを訊いてみると、 「我々はもうすぐ戦地(ベトナム)に戻らねばならない、おまえはいいなぁ〜、自由で!・・・」と。

そうです、彼らには明日は殺すか殺されるかの戦場が待っているのです。
そこから逃げ出す自由は与えられて居なかったのです。 
・・・そんな彼らに比べ、俺には自由がある。
今まで不平不満をいつも吐いてきた。いつも不満の原因を親とか周囲の性にしてきた。
しかし、よく考えてみると米兵の様に強制されることなく、何でも出来る自由が与えられていることに気づいた。 

俺は「何もやれなかったのでは無く、やらなかっただけなのだ」と言うことに、 
結果はどうあれ、やれば出来る。何の制約もなく・・・。
その気付きに心の霧が晴れるように世の中の見え方が変わったに違いない。
彼は確実に生まれ変わった。
それから間もなく新天地を求めて彼はアメリカに旅たちます。 
もちろんまた無一文で。
そして、あのヨシムラと出会い、次々に起こるハプニングに翻弄されながら、
あのル・マンのレースを支えるエンジニアスタッフとして活躍することになるのです。 

どうです! スゴイでしょう。 
笑ってしまうほどの痛快な人生をお伺いすることが出来幸せでした。
皆さんの新しい期のスタートに幸あれ。 
美藤さんの益々のご活躍を祈念しております。

 

以上

【経営者の仕事は環境づくり】No. 56 代表取締役社長 笠原泰藏

絆工房

今回の取材は当社代表取締役兼会長笠原

いじめられっ子だった幼年時代から勤めた会社が1年足らずで倒産したサラリーマン時代
そして絆工房誕生秘話までを紹介します。

若者がこぞって企業する時代で
会社を起業するよりも、継続することが難しいと言われる中で今年7月で創業37年を迎える絆工房。
改めて考える「継続する会社を経営すること」について熱く語ります。(いつも熱いが・・・by聞き手)

戦いに破れ続けた幼年期

ーどんな性格?

負け嫌いな性格。
負け嫌いは負けず嫌いとは違う。

戦わずして負けるのが負けず嫌い。
僕の場合は、戦って負けている。沢山負けた。
年少期はいじめられっ子。
悔しくて、そういう自分が嫌いだった。

 

家では父親から常に「勉強しろ」と毎日言われ続ける。

高校卒業後、本当は絵、デザイナーの道に進みたかったが、父親に反対され、
「絵では飯が食えん!」の一言で、親の進めた大阪の会社に就職。

時代は高度成長時代。
執着すればその会社に滅私奉公で就寝雇用するのがふつ〜うの生き方。

2年ほど働き、親から実家に戻ってくるよう言われUターンし地元で就職。
それでも「自分の特技(デザイン)を飯の種にしたい」という気持ちはくすぶり続ける。

そんなある日、何気なく手にした週刊ポストのシルクプリントのフランチャイズ店の募集欄に目が留まる。
早速応募。
もちろん父親からは怒られたが、借金を抱えて独立起業。
しかし、この会社が1年も経たずに倒産。
残されたのは借金のみ。

さらに、追い打ちをかけるように肝炎になり医者からは、やがて肝硬変ー肝がんに進んでしまうと告知。
沈みゆく夕日の朱に帯びた空の情景が今も目に焼き付き忘れられない。

幸い肝炎は完治。
多額の借金をかかえたままシルクプリント事業を背水の陣で取り組むことに。。。

いじめられっ子
デザインの夢断念
倒産
病気と
幼い頃から戦いにことごとく負け続けていると次第に
「どうせ、俺なんか所詮・・・」という思考回路に陥る。

自己肯定感の低い暗澹たる思いの20代を過ごす。

 

初めての成功体験とは

ーその心の状態からどのように脱却したのか?

2つあるが、1つはテニスでの成功体験。
好きこそものの上手なれというように、3度の飯よりテニスが好き。

どうやったら上手くなれるのか、そのことばかり考えていた。
好きなテニスの事となると寝食忘れて没頭。
まさにゾーンに入るという表現がぴったりの心境でテニスにのめりこんだ。

そして、試合に勝つようになると素直に嬉しい。
じゃあ次の試合までにはもっと今より状態しようとさらに練習に没頭。
その繰り返しの中で成功体験が増えていき、気がつくと低い自己肯定感の自分から脱皮できた。

変容<メタモルフォーゼ>

さなぎから蝶に脱皮するように、自分に自信がついた。
好きというのは、原動力なる。

もう1つの原動力は、本来の負け嫌いという性格。


今でこそ若者の起業が当たり前の時代だが、
37年前は、
「勉強していい学校に入らないといい会社に入れない。だから勉強しろ。」
と父親の言葉が呪文のように心を縛る。

時は高度成長時代。
就職すればその会社に定年まで滅私奉公するのがふつ〜うのサラリーマンの生き方。

だから、集団就職、年功序列、定年制と、一億総中流意識だった時代にサラリーマンをやめて
独立するというと父親は猛反対。


周りの人たちも、
「キギョウ?なにそれ、美味しいの?美味しくないなら辞めとけば」と。

まさに四面楚歌。
アウェイの状態で会社をスタート。

 

絆工房笠原泰藏

借金も抱え、家族も抱え、後がないということもあり、
がむしゃらに働くこと2年。

ようやく、借金を返済し事業も軌道に乗り始めたのが40代間近。
そしてこの年齢はというと、地域の役を頼まれる年齢、いわゆる厄年。

消防団の役
PTAの役
商工会の役と地域の役も引き受けるようになり、
正確には引き受けざるをえない状態に。
それは布石を打ったから。

役員の打ち合わせで意見を述べるとよく
「経験もないのに知ったような口を聞くな」と長老たちに軽くあしらわれ、
言われた瞬間はもちろんショックでがーーーーん!!

しかしその次の瞬間には、意外に冷静になる自分がいて
「だったら俺が引き受ける!」
やってやろうじゃないか精神。
開き直り。
反対されると逆に燃えるタイプ。

このようなことを繰り返していると、
消防団分団長
PTA会長
人権啓発推進協議会役員
豊岡市商工会日高支部長
神鍋高原道の駅社長
と雪だるま式に役を引きつける結果となる。

そして「長」という役に就くと、否が応でも人前で話す機会が増えるもの。

自己肯定感ゼロの頃は、人の前で話すなんて大の苦手だった為(今でも嫌い)
責任のある仕事や役は逃げ回っていた。

ーなぜ引き受けるようになったのか?

トヨタ自動車会社社長、豊田章男氏いわく、
「怖いところに突っ込んで行く方がむしろ安全」だから。

そしてどうせやるなら面白くしようと。
誰にも言われるに始めた2週間に1度の商工会おひねり勉強会も6年、通算128回開催。

with コロナ時代のこれからの会社経営

 

絆工房笠原会長

デザイナーのはしくれとして
「究極のオリジナルTシャツをつくりたい」という思いでスタートさせて絆工房。
設立当初は、有限会社マジック。

マジックの由来は、
Tシャツで人をマジックのようにびっくりさせたい
そして、好きだったイエローマジックオーケストラYMOのマジックからとった。

平成25年4月には、マジックから絆工房に社名変更。
ユニフォームというのは、チームで着るもの。
そのユニフォームにお揃いのデザイン、エンブレムが入っているものと、入っていないものとでは
必然的に試合に臨む心意気も違ってくる。

会社はユニフォームという商品を通してチームの絆を表現したい
という意味を込めて社名変更。

お客様にマジックのようにびっくりするユニフォームづくりから
絆を深めるユニフォームづくりへとバージョンアップ。

そのコンセプトは、絆づくりこそ至福の人生を歩むこと

 

人生の幸せとは

何事も原点に還ってみると問題が見えてくる。

なぜ生きているのか
なぜ仕事をするのか

例えば、
なにか仕事で行き詰まった時に、そこにうまく進まない要因、つまり隠れたサインがあるはず。
それを読み解き、現象から示唆・導きを捉える。
目の前の出来事を短絡的な良し悪しで判断してはダメ。

絆工房笠原泰藏

コロナも然り。
一体何のサインかを読み解く。
現象からサインを読み解くことが大切。

そしてそれを肯定的にとらえて解決していく。
ワクチンが功を奏しても、社会はもう以前の生活には戻れない。
だから後戻りをせずに肯定的にとらえて前進していきたい。

努力ー勇気ー覚悟ー開き直りの順番で進んでいく。
決死の覚悟で進んでいき、それでもダメな場合。

開き直り。開き直ってやるしかない。

宮本武蔵も
「命をなげうつ者ほど強い者はない。」

開き直って物事に当たると経験値を超えたところの発想が生まれてくる。
シナプスが発火するという感じで持っている能力以上のものを発揮する場合がある。

スタッフがそういうフローな状態で仕事ができる環境づくりを経営者として作っていきたい。

 

経営者の仕事は環境づくり

会社は、同じ目標を持った者同士が集まるところ。
桃太郎の話を例えるなら、
鬼を退治するとい目標をもつ桃太郎のもとにキジや猿が集まった。
キジはキジの役割
猿は猿の役割がある

絆工房も、それぞれのスタッフが自由意志のもとに
自分の特技や能力を思いっきり発揮できるような組織を目指している。
最近では、そんな組織をティール型組織と定義されているが、
絆工房もそういう組織を目指して環境を整えていこうと思う。

ーそう思ったきっかけは何か?

11年前に出会った1冊の本。
ブラジルのセムコ社のリカルドセミナー著
『奇跡の経営』のとの出会い。

セムコ社は、社員に対し徹底した情報開示と社員のコントロールの放棄をしている会社。

「人に言われたからやる」
「上司に言われたから仕方なくやる」というのではなく、
自分が好きだからやるというような雰囲気のある会社。

好きなテニスならアスファルトのコートがフライパンのように熱い中でもやる、
好きなゲームなら親に隠れてでもやる、
好きな教科の勉強なら延々と難問に挑戦する

仕事も同じようにゲームのように没頭できるような環境づくりをしたい。
趣味が高じて仕事になったと言われるが、まさにそんな感じで仕事に打ち込めるルールをづくりを目指す。

コロナをきっかけでに新しい時代が始まろうとしている。
新しい時代ではそれに対応できる人や組織だけが生き残っていける。

今まで隠されていたモノがあぶりだされてきている。
そのモノに対してどう対応すべきか。どうサインを読み解くか。

 

ーどう読み解くのか?

それは原点に還ること。

原点に還ると答えは自ずと見えてくる。

以上

【絆のカタチ】No. 55 FC六間 三宅博人様

絆工房 ニューズレター絆のカタチFC六軒

 

絆工房 ニューズレター絆のカタチFC六軒

 

今回の取材は地元但馬を飛び出し神戸長田にあるFC六間様にお邪魔しました。


遠方の取材は、姫路のAC播磨イーグレッツ事務局長岡田様依頼2度目。
FC六間様は、地下鉄新長田駅を南下すると見えてくる六間道5丁目商店街の中にあります。
訪問したのは、寒さの厳しい2月。
まだコロナの風が吹き荒れておらず、誰1人マスクもせず穏やかな冬日和の午後。
FC六間様担当の営業増田も同行。

サッカーをしたことのない「町のサッカー屋さん」

お店に入ると真っ先に目に飛び込んできたのは、巨大なハイビジョンテレビ。
サッカーの試合が流れています。テレビを囲むように、サッカーユニフォームや女子アスリートの写真、グッズがディスプレイ。当社が制作した見覚えのあるサッカーユニフォームもあります。

オリジナルサッカーユニフォーム FC六間

ー三宅さん「まずは増田さん、いいユニフォームを作っていただいて有難うございました。僕は、昇華プリント知識はないのですが、昇華で出来ること出来ないことをきちんと教えてくれるのでほんと有難かったです。」


やったね、増田!

( よかった・・・)

ー笠原 「喜んでいただいて何よりです。ところで、三宅さんはいつからこのお店をされておられますか?」
ー三宅さん「7年前からです。よく人からそんなにやっているの?と驚かれますね。7年間しんどい時もありましたが、がむしゃらにやってきました。」

 

ー笠原 「まさに、継続は力ですね。」
ー三宅さん「FC六間は、地元商店街の活性化事業の1つで誕生したお店です。サッカー好きの人が集まる空間づくり、環境づくりを目指して自分の店だけでなく、地域全体が活性化出来ればと思っています。」

ー笠原 「サッカー関係のお店ということで、三宅さんはサッカーをされておられるんですよね。」
ー三宅さん「いえ、実は、僕はサッカー経験がないんですよ。野球をやってました。」

ー笠原 「サッカーをしていない三宅さんがサッカーに携わるお店を使用としたのはなぜですか?」
ー三宅さん「たまたま女子サッカーチームの試合を観に行ったのがきっかけです。ボールを必死で追いかけるプレーヤーのファンになりました。お気に入りの選手を応援したい!自分がサッカーをしなくても応援窓口になりたい!女子サッカーファンが集うお店をしたい!と思ったのがきっかけです。」

その言葉どおり、お店のコンセプトも

『サポーター一人一人が持っている熱い想いが集まり、サポーターの『輪』が広がるお店。女子サッカーサポーターが気軽に、快適に過ごせるお店』

町のスポーツ屋さんの苦労とそこからの脱皮

ー笠原 「サッカーグッズを販売するだけにはとどまらない、まさに絆づくりをされておられるお店ですね!」


ー三宅さん 「はい、ですからサッカーを応援するという柱を維持させる為に色んなことをしていますよ。
グッズ販売という単一のものを売るだけでなく、仕出しお弁当販売や、(体づくりの)ローションなども販売しています。周りから『何屋やねん!』って言われますが(笑)。会社は続けることが大事だと思っています。」
ー笠原 「そうですね。創業して10年続いている会社は全体の1割と言われています。10年すると時代も大きくかあります。中国の目を見張るような台頭がそうですよね。モノが何でも手に入る時代に、モノにコトをいれて商品に意味づけを与えないと生き残れない時代。売上は出たとこ勝負ではない。ビジネスモノ出るである儲かる仕組みをきちんと作っておけば誰がやろうと出来るもの。再現性のある技術です。」

ー三宅さん「本当にそうです。大資本がある会社は次がありますが、個人は次はありません。できすから本当にチョイスしてもらう為の勉強が大切。選んでもらえるお店になるよう、ここ何年も本当に休みなく働き、また勉強もしてきました。だから趣味は?と聞かれてもないんですよね。」

ー笠原 「FC六間は、店に来ると何か仕掛けてお店ということになりますね。環境づくり。豊かなビジュアルシーンを見せてくれる空間を目指しておられますね。」

ー三宅さん「今はSNSで生活を細切れに発信するようにしています。最初は、個人のプライバシーを出すのはどうかと思っていたんですが、発信しないと存在すら気づいてもらえない。この間も「入っていいんですか?」というお客様がおられて、あー入りにくいのか、と思ったり、結局お客様からは見えてない部分もあるんじゃないかと思っています。」

 

「ええ奴」は「どうでもええ奴」

ー笠原 「これからFC六間さんの目指したいことがあれば教えて下さい」

ー三宅さん「FC六間は、商店街の皆さんと一緒になって活動しているお店です。
出来る限り会議やイベントには参加してそうやってネットワークの中で自分の立場を明確にしていきたいと思います。そこでは、きちんと自分の考えを持っていること。「ええ奴どまり」にならないこと。あいつはええ奴と言われるのは、言い換えれば、どうでもええ奴なんですよ。あいつは抑えておかないといけない奴でなければいけないと思っています。」

ー笠原 「マスター(師匠)ということですね。」なぜ引き受けるようになったのか?

ー三宅さん 「そうです。あとはパイの取り合いではなく共有していく関係であること。取り合いをすると共倒れになりますからね。」

ー笠原 「業界をまたいでクロスしていく感じですね。」
ー三宅さん 「色んな事業をやっているのもそこなんです。またプレーヤーじゃなくても、サッカーをやってなくても来れるお店づくり。お店側もお客様もほどよい距離感を保ちたいと思っています。ポイントで縛るような関係でもなく、べったりでもなくゆるい関係。井戸端会議的というか、サロンのような環境を作っていきたいと思っています。」

ー笠原 「会社経営も環境づくりとマネタイズ出来る仕組みづくりが大切ですからね。ボールを蹴るという選択でなく、ファンという役を徹底するマインドこそが商売を続けていることに寄与しているんですね。今日はどうも有難うございました。」

地域、ファン、プレーヤーというつの柱で絆づくりを目指す神戸のお店 FC六間さん。
単なるモノを販売するというお店でないことが分かる取材となりました。

 

ユニフォーム新調制作
データ作成ー出力ー転写

オリジナルサッカーユニフォーム FC六間
オリジナルサッカーユニフォーム FC六間

 

昇華転写印刷オリジナルサッカーユニフォーム FC六間

以前の写真もいただきましたのでご紹介します。

オリジナルサッカーユニフォーム FC六間
オリジナルサッカーユニフォーム FC六間
オリジナルサッカーユニフォーム FC六間

以上

【絆のカタチ】No. 54 ローカーボハウス 友田 和子様

ローカボハウスともだあつこ

ローカボハウスともだあつこ

 

 

 

若い頃から体調を崩しがちで、出産後は産後うつやパニック発作にも悩まされたという、ともだかずこさん。
このままではいけないと暗中模索をしている中で出会ったのが糖質オフ(食事栄養療法)。炭水化物(糖質)を減らしてその分のエネルギーを良質なたんぱく質や脂質を補う食事。

朝から手作りパンやスイーツを作るほど炭水化物が大好きだった彼女が様々な人々の出会いを通して人生が変わったそうです。体がかわると心も変わる、心が変わると生き方も変わる。

ともださんが身をもって感じたものとは!?


常に体調不良が当たり前の毎日

ーともださん「糖質オフという食事栄養療法に出会うまで、私は精神疾患だけでなく、冷え性や慢性便秘、重度の夏バテなどに悩まされていました。長年、このようなの症状だった為こういう体質なのかと半ば諦めていたんです。出産するとさらに体調が悪化し、おまけに産後うつも始まってしまい、本当に辛かったですね。」

産後うつにより家族に助けてもらいながらの苦しい子育て。

—ともださん「私の体調は日常生活に支障が出るほどで、様々な病院を訪れました。ようやく私の体調不良の原因がわかったのが、広島のふじかわ心療内科クリニックの藤川徳美先生。藤川先生に診てもらったところ、私の体調不良はたんぱく質と鉄分不足が原因だと判明したんです。すぐに鉄分をサプリメントで補いながら、受診の半年くらい前から始めていた高たんぱくと低糖質食を継続しました。」

絆工房とともだあつこ

—笠原 「体調はどう変化しましたか?」

—ともださん 「パニック発作がなくなり、夏バテも年々軽減していったんです!今までの苦しさが嘘のように健康体になりました。それから、以前は食後はすぐ眠くなっていたんですが、糖質を控えた食生活にすると食後も眠くならないんです。糖質の摂り過ぎは、集中力の低下にもなると言われてますが、本当にこの事を身をもって実感しましたね。冷え性からも開放され、肌や爪の状態が非常に良くなりました。」

実際ともださんの爪はネイルしたかのようにツヤツヤと血色のよい爪。

—笠原 「医食同源、そして人間は食べたものでできていると言われていますからね。(世界ランキング1位のテニスプレーヤー)ジョコビッチ選手が、グルテンフリーの食事に変えたところ集中力が増してパフォーマンスが向上したと彼の本にも書いていましたが、ともださんも精神的になにか変わったことがありますか?」

 

■『あなたの糖質オフスイーツが食べてみたい。』その一言で起業

—ともださん 「今まで本など読まなかった私でしたが、集中力がついたおかげで積極的に本も読むようになりました。その結果、今まで知らなかった知識がどんどん頭に入ってきて面白いです。タンパク質を摂り、糖質を控えることで頭がすっきりしたり、集中力が高まったり、と心身ともに良くなったのが本当に驚きです。実は私の子供も体が弱くてすぐ風邪をひいてたんです。運動能力も極端に低く、周りについていけないことが目立ちとても悩みました。学校の勉強も本人は一生懸命やっているのになかなか集中して取り組みことが出来ない。そして息子も藤川医師に診てもらったところ、私と同じようにたんぱく質と鉄分が不足していることが分かりました。肉や魚、卵などの動物性たんぱく質を積極的にメニューに取り入れ、サプリメントで鉄分を補給したんです。すると体力もつき、学習能力も非常に向上したんです。いつも50〜60点だった漢字の小テストは満点に!何よりも本人が自信がついたのは本当に嬉しいことです。」 

絆工房とともだあつこ

 

—笠原 「高たんぱく&低糖質食をされた結果体調がよくなったともださんですが、ところでどういったきっかけで、お店を開業されたんでしょうか?」

—ともださん 「先程言ったように、集中力が増して以前は読まなかった本を読んで色々と勉強していくうちに、私のような病だけでなく、肥満や糖尿病、高血圧、癌などの生活習慣病や難病までもが食事&栄養で改善することを知りました。ちょうどその頃、趣味で糖質オフスイーツを作っていたのですが、フェイスブックに投稿していたスイーツを見て「ともださんの糖質オフスイーツを食べてみたい。」と藤川先生の声に励まされました。すっかりその気になって、糖質オフスイーツ作りに火が付き、糖質オフが必要な人たちの為に開業しようと思ったのがきっかけです。」

取材では、手作りの低糖質ガトーショコラケーキをご馳走になりました。一般的に甘さ控えめ、グルテンフリーといったヘルシーを唄っているスイーツは食感がパサパサしているものですが、ともださんのスイーツはしっとりと重く十分に満腹感があります。

—笠原 「お店を開くのもそうですが、本を出版するというのも大変だったんじゃないでしょうか?」

 

絆工房とともだあつこ

—ともださん「そうですね、一人で全てやろうとしたら確かに大変だったと思います。ある時、糖質制限の講演を聴きに行ったんです。そこで話されたドクターは,糖質オフの業界では有名な水野雅登医師。講演の後に糖質オフを広めたいという私の想いを伝えたところ「1人で全てをやろうとするのは、お金と時間の無駄です。自分が持っていないものを持っている人と一緒にすれば、想いは叶うものですよ」と言われたんです。その後、糖質オフスイーツの出版が決まった際、水野先生にご監修いただき一緒に本を作り上げました。」

—笠原 「1人よりも、2人、2人よりも3人ですね。絆工房でも、チームで仕事することに取り組んでいます。最後にともださんにとっての絆とはなんでしょうか?」
—ともださん 「やはり藤川先生や水野先生との出会いがなかったらここまで出来なかったと思います。本当に人に恵まれました。体質も改善しましたし、大好きなお菓子作りを諦めることなく糖質オフスイーツとして開業や本も出版できました。」

—笠原 「お二人の先生がともださんにとってはメンターということですね!今後の生き方を教えていただけませんか?」
—ともださん 「今、子供達の不登校や発達障害というのが問題になっていますが、心や発育の問題というのは実は食べ物からの影響も受けています。それを気づかないことが多く、またどこにその悩みを相談したらいいのかわからない親御さんも多いと思うんです。ですから、もっと積極的に講演やセミナーを開いていけたらと思っています。」

良薬は口に苦し

「これは体に良いんだから。我慢して食べなさい!」
誰しも小さい時に親から一度は言われた言葉。暗示のような、脅迫のような言葉。
自分だけでなく次世代にとって体も心も健康になるために本当に美味しいものとはなにか、
改めて考え直す取材となりました。

 

絆工房とともだあつこ

以上