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【絆のカタチ】No50 エンドー鞄株式会社代表取締役社長 遠藤玄一郎 様

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絆工房取材エンドー鞄1

豊岡市と言えば、国の特別天然記念物であるコウノトリの街、そして鞄 の街として知られています。
日本一の鞄生産量を誇る街、この街にエン ドー鞄株式会社はあります。柳行李(やなぎごおり)発祥の地、豊岡で 最も古いメーカーであり、鞄産業の歴史を振り返ると、日本一古い鞄メ ーカーであると言えます。
エンドー鞄は今から194年 前の文政7年(西暦1825)創業した鞄メーカー。2つの世界大戦、世界 恐慌、オイルショック、そして平成の数々の自然災害など、時代の荒波 を乗り越えて今なお存続する会社。
そこには継続していく上での大切な 何かがあるはず、ということで今回はそのあたりも含めて8代目代表取 締役社長である遠藤玄一郎さんに話を伺いました。
 


 
 

■ 「鞄は道具!かっこよさよりも機能性のある鞄づくりを」

 
エンドー鞄は、女性が好むような甘いテイストのカラーはほぼなく、黒、グレーといった、どちらかというとマニッシュな雰囲気が特徴。
ー遠藤さん 「昔は、レディースも取り扱っていました。でもある日「なんでも出来ますよ。」とお客様に言うと、「なんでも出来るということは、何の特徴もないんですね。」と言われたんです。そこで、男性用のビジネスバックに特化した商品を作ることに決めたんです。」
−笠原 「一点突破全面展開ですね。 順調に来られたんでしょうか?。」
-遠藤さん 「そんなことはありません。大学卒業して入社早々に取引会社2社が倒産しその煽りを受けました。修業のために大阪営業所にいたのですが、すぐに本社に呼び戻されました。会社が経営難に陥ったことはすぐに噂が広がるものです。人の不幸は蜜の味でね(笑)。家のお風呂が壊れてしばらく銭湯に通っていたら「遠藤さんのところは家を売ったらしい」と噂がたったり、父と道で立ち話をしていると、「あれ夜逃げしたんじゃなかったの?」と言われたり、、、、。何とかしなければという思いから、親父や先輩達にああしよう、こうしようと提案しました。親父が「右だ!」と言ったので「いや左だ!」と反対しました。でも、従業員は親父の方についていくわけですよ。え〜右なの?って(笑)。難しかったです。あまりに私が吠えるので、「それじゃあ、お前がやってみろ」って親父に言われまして、30歳の時に専務に就任しました。」
 
絆工房取材エンドー鞄1
 
– 笠原 「(就任されてみて)どうでしたか?」
-遠藤さん 「起死回生を図ろうと睡眠時間3時間で働きました。それまでの付き合いは全て断ってひたすら働きました。でも、ある時、寝る時間以外の16時間働いても人の2倍しか出来ないことに気づいたんです。それに気づいてからは、他の人にどんどん仕事を振っていきました。」
– 笠原 「鞄作りでご苦労されたことはありますか?」
-遠藤さん 「人に伝えることが難しかったですね。例えば、ロフトやハンズの旅行かばん売り場では、軽さや静かさを謳っている鞄は山ほどあります。たとえ重たくても、です(笑)。どんなに音が静かな旅行用キャリーケースです!って言っても理解してもらえませんでした。そこで騒音体験ボードを売り場に置こうとしたんですが、今度は売り場からそんなもの置けないと言われました。そんな中、名古屋ハンズだけが目をつけてくれ、売り場でお客様に体験してもらったところ瞬く間に売れたんです。そのことがきっかけでロフト店はもとより、小売店でも取り扱ってもらえるようになりました。鞄に限らず、モノは簡単には売れません。どうやって伝えていくかが大事です。」
旅行は早朝や晩に空港へ出発することが多いことをヒントにご近所の迷惑にならない世界一音が静かな旅行用キャリーケースが誕生しました。
-笠原 「旅行用キャリーケースはうるさい、という概念を払拭したわけですね。」
-遠藤さん 「人の困りごとを解決するソリューションに力を入れています。僕は若い頃ファッションに無頓着な方でしたが、当時の鞄には内側に収納ポケットがなく、入れたものが中でぐちゃぐちゃになるんですね。それが嫌で、鞄の内側に収納ポケットを付けてくれるように職人に頼むと「そんな手間がかかるものは作れない。」って言われました。それでも、とりあえず試作品だけでも、と無理を言って作ってもらったところ大ヒットしたんです。」
エンドー鞄のブランド商品の1つ『プログレス』が誕生した瞬間です。
-笠原 「どんな時に商品開発のアイデアが浮かぶのですか?」
-遠藤さん 「四六時中常に考えています。特に旅行や出張にいった時に人の持っている鞄をチェックしますね。」
 
絆工房取材エンドー鞄1
 
伝統を守りながらも変化に対応していかないと生き延びることは出来ない、だから朝令暮改OK!と言い切る遠藤さん。
今ある伝統も、誕生した当初は、前例がないもの。柳行李からファイバー素材の鞄、そして歴史を重ねていくごとに生まれ変わっていくエンドー鞄。鞄の伝統と進化のリテラシーが柳の細工のようにしなやかに織り重なっていきます。 現在65歳になった遠藤さん。
今後の会社経営、そして絆について伺いました。
-遠藤さん 「ルールづくりですね。時代に合ったルールを作っていきたいです。今後も変化に対応して生き延びていく会社を目指したいと思います。以前は、創業から194年もの長きにわたって会社が存続していることに重きを見いだしてはいませんでしたが、でもこれはある意味すごいことなんじゃないかと思えるようになりました。続けてこられたのも先輩との絆、従業員との絆があったからだと思います。縁を大切にしていきたいと思います。社員を大切にする会社、社員の雇用を守る為にもこれからもしっかり儲けることが大事だと思っています。それが私の使命です。」
– 笠原 「儲けることは手段であって、社員を守ることが使命だということですね。またさらに伝統も、ただ守るものではなく、革新していくもの。それを人の絆で未来に繋げていく。そう強く感じるお話でした。有難うございました。」
 
世界の創業100年以上の老舗会社の半分以上は日本企業というまさに世界一の老舗大国。その老舗がひしめく国、日本で生き残っていくには、何を守り、何を大切するのかを学べた取材となりました。
 
絆工房取材エンドー鞄1
 
絆工房取材エンドー鞄1

エンドー鞄株式会社

〒668-0026

兵庫県豊岡市元町10−2

電話:0796-22-7156

FAX:0796-24-1296

 
 

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