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【絆のカタチ】No.51アドバンス株式会社 取締役支配人 樋口正輝様

公開日:2019年04月05日 カテゴリー:ニューズレター, ブログ タグ:

 

「神鍋を非日常生活を提供していく場に」

 
冬はスキー、夏はトレッキングやニジマス釣りと四季折々のアウトドアの楽しさを提供してくれる神鍋高原。2018年には、目線を大地から空に向け、360度広大な高原を上から楽しめる熱気球体験アクティビティーもスタート。関西一の名門スキー場というポジションに甘んずることなく様々な角度から高原の魅力を掘り起こそうとする若き仕掛け人、樋口正輝様に、3月末とは言えまだ肌寒くストーブを炊いた事務所でお話しを伺いました。
 
 

 

■ 「経営は始まってからが一年生」

取締支配人ということで年配の方を想像していたのですが、現れた人は少年のような方。

−笠原 「樋口さんはお幾つですか?」
−樋口さん 「33歳です。」
−笠原 「どういった経緯でこの神鍋スキー場経営に携われたのでしょうか?」
−樋口さん 「愛知県生まれですが、父親が新潟ということで幼い頃からスキーは慣れ親しんだスポーツでした。大学もそういうわけで北大に進みました。」

−笠原 「卒業後すぐにスキー場経営に携わったんですか?」
−樋口さん 「いえ、商社に就職しました。僕は大学では工学部に在籍していたのですが最初、ODA関係の仕事に就きたいなと思っていたんですね。ところが『理系こそ文系に就職すべき』という兄、そして、IT出身でありながら三菱商事でオリンピック通訳をした大学の先輩の影響もあって、伊藤忠商事に就職しました。『ラーメンからミサイル』まで扱う商社では、とにかく色んなことを学びました。」

商社で3年ほど働いた後、自分の得意とするスキーを活かすスキービジネスで起業するという夢を実現すべく、ネットでスキー場経営を検索。
そこで検索にヒットしたのが㈱クロスプロジェクトグループの代表取締役、辻さん。
−樋口さん 「すぐに辻さんに連絡をとって相談すると、『経営は始まってからが1年生。さらにスキー場経営は10年かかる。起業は早ければ早いほどいい。』ということで商社を26歳で退職しました。」
 

−笠原 「若くしてスキー場経営者になられたわけですが、どうでしたか?」
−樋口さん 「最初のスキー場の職場では、ごっつい指輪した、いかつい兄ちゃん達がいるわけですよ。そんな彼らに26歳の経営者がいきなり現れ、トイレ掃除一つ出来ない僕に現場の人はついてきません。『役職なんて意味ないな。』と気づきました。(経営者として)最初の挫折です。」
 
−笠原 「樋口さんにとって経営とは?」
−樋口さん「売り上げだけでは人はついてこないということ。ベクトルを揃えて全員がハッピーでないとダメだということです。絆ですね。それには(自分自身の)普段の言動の積み上げが本当に大事だと気づきました。」
−笠原 「事業を続けていく意味はなんでしょうか?」
−樋口さん「利他の精神でしょうか。言葉としては分かってはいてもなかなか大変なことも多いものですが、利他の精神でいくと基本的には物事は上手くというのが僕の考えです。」
−笠原 「樋口さんにとって大変なことって何ですか?」
−樋口さん「倫理と経済とのバランスでしょうか。健全な事業はこの2つが両立していますね。また、伊藤忠商事では、事業というのは売り手よし・買い手よし・世間よし、これが絶対であるとことを学びました。」
−笠原 「三方よしですね。」
−樋口さん「まさにそうです。」

 

■ フルパワーで生きても追いつかなかった海外留学

自分の生きる軸の基準をすでに確立し、その軸に沿った働き方、生き方をされているように見える樋口さん。
その軸にも話しが及びました。
−笠原 「ところで樋口さんの人生のターニングポイントはありますか?」
−樋口さん 「アメリカ留学ですね。留学の動機は、英語が喋れるようになりたいとかではなく自分を試す為でした。生活は本当に大変でした。まず、オリエンテーションの英語がさっぱり分からない。でも説明が終わると周りの学生は行くべき場所が分かって散らばっていくわけです。僕一人どこに行けばいいかわからない。そこで、見るからに優しそうな人を捕まえてどこに行くべきかを身振り手振りで訴えました。ようやくその日から生活する学生寮にたどり着いたのですが、着いたら着いたで部屋の扉がオートロックであることを知らない為閉め出されたり、、。朝の7時半に授業ということで寮を出ても、外は真っ暗、不安になって自分の腕時計を見ても本当に正確な時間であることすら怪しくなってくる。サマータイムがありますからね。おまけに語彙力が圧倒的に少ないので、ものすごく偉いに違いないであろう教授に対しても命令口調で言ったりと、まあ本当に大変でした。フルパワーで生きても生活が送れない。あの留学経験のおかげで怖いものがなくなりました。かっこつけてもしょうがない。」

 

■ 「死を意識することが大事」

−笠原 「開き直りですね。」
−樋口さん 「そうですね。僕は、基本ポジティブシンキングなので、失敗や不幸というのも後からラッキーと思えれば今の不幸もラッキーと捉えています。また、人生の価値は、死んだ後も分からないと僕は思います。そう思うのは、僕は8年前にスキー骨折し東京の病院で手術を受けた体験からもきています。麻酔から目を醒ますと『日本が変わっていた』んです。実は、手術したのは3月11日の東日本大震災が起こったまさにその時間だったんです。目が覚めると病院は、帰宅難民の人で溢れ、病院は、野戦病院状態。そこで、骨折したのが不幸だったのか、病院で建物の設計上一番地震の揺れに強い場所である手術室で震災の難を逃れたので運が良かったのか、どちらをとるかです。現実をどう捉えるかです。ただ言えることは、(人生において)死を意識することは大事であるということ。そういう体験をしないとトラブルがあった時の判断が甘くなるんじゃないかと思います。」
 
 

■ 仕事場はアジア

今の神鍋高原は、グラススキー、サマーキャンプ、そして関西初の熱気球体験が出来る夏も遊べるスキー場。


−笠原 「今後、この神鍋スキー場をどう経営されていかれますか?」


−樋口さん 「神鍋の人口は減少していっています。それは確かです。民宿経営する親の世代も子供に継承を強いていません。ですから人口減少を、衰退ととるか進化ととるか。新しい秩序に移行しているであれば人口減少を悲しんでそれを無理にくい止めようとする必要はありません。どの秩序に向かっているのか?僕は、この場所を非日常を提供していく場にしていきたいと思っています。雪にも可能性を見出しています。雪の降らない海外の人からみると、ここは非日常を体験できる場です。雪体験そのものに可能性があると思っています。ですから僕の仕事場は神鍋高原というよりもアジアですね。」
 
学生時代は、留学だけでなく、インドでストリートチルドレンに朝食を提供ボランティア活動の為、通勤ではドアがなく落ちたらすぐ死ぬという満員列車の体験もした樋口さん。
「文明と引き換えに日本は何を捨ててきたのか、日本で当たり前のことが実は当たり前でない」と言う樋口さんは、幸・不幸、生・死、日本の外・中といった進むべき方向の決定をする軸を、既に経験されている方という印象を受けました。
今後の活動が楽しみです。

 



   


   


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