2019年 10月 の投稿一覧

【絆のカタチ】No.51アドバンス株式会社 取締役支配人 樋口正輝様

 

「神鍋を非日常生活を提供していく場に」

 
冬はスキー、夏はトレッキングやニジマス釣りと四季折々のアウトドアの楽しさを提供してくれる神鍋高原。2018年には、目線を大地から空に向け、360度広大な高原を上から楽しめる熱気球体験アクティビティーもスタート。関西一の名門スキー場というポジションに甘んずることなく様々な角度から高原の魅力を掘り起こそうとする若き仕掛け人、樋口正輝様に、3月末とは言えまだ肌寒くストーブを炊いた事務所でお話しを伺いました。
 
 


 

■ 「経営は始まってからが一年生」

取締支配人ということで年配の方を想像していたのですが、現れた人は少年のような方。
−笠原 「樋口さんはお幾つですか?」
−樋口さん 「33歳です。」
−笠原 「どういった経緯でこの神鍋スキー場経営に携われたのでしょうか?」
−樋口さん 「愛知県生まれですが、父親が新潟ということで幼い頃からスキーは慣れ親しんだスポーツでした。大学もそういうわけで北大に進みました。」
−笠原 「卒業後すぐにスキー場経営に携わったんですか?」
−樋口さん 「いえ、商社に就職しました。僕は大学では工学部に在籍していたのですが最初、ODA関係の仕事に就きたいなと思っていたんですね。ところが『理系こそ文系に就職すべき』という兄、そして、IT出身でありながら三菱商事でオリンピック通訳をした大学の先輩の影響もあって、伊藤忠商事に就職しました。『ラーメンからミサイル』まで扱う商社では、とにかく色んなことを学びました。」
商社で3年ほど働いた後、自分の得意とするスキーを活かすスキービジネスで起業するという夢を実現すべく、ネットでスキー場経営を検索。
そこで検索にヒットしたのが㈱クロスプロジェクトグループの代表取締役、辻さん。
−樋口さん 「すぐに辻さんに連絡をとって相談すると、『経営は始まってからが1年生。さらにスキー場経営は10年かかる。起業は早ければ早いほどいい。』ということで商社を26歳で退職しました。」
 

−笠原 「若くしてスキー場経営者になられたわけですが、どうでしたか?」
−樋口さん 「最初のスキー場の職場では、ごっつい指輪した、いかつい兄ちゃん達がいるわけですよ。そんな彼らに26歳の経営者がいきなり現れ、トイレ掃除一つ出来ない僕に現場の人はついてきません。『役職なんて意味ないな。』と気づきました。(経営者として)最初の挫折です。」
 
−笠原 「樋口さんにとって経営とは?」
−樋口さん「売り上げだけでは人はついてこないということ。ベクトルを揃えて全員がハッピーでないとダメだということです。絆ですね。それには(自分自身の)普段の言動の積み上げが本当に大事だと気づきました。」
−笠原 「事業を続けていく意味はなんでしょうか?」
−樋口さん「利他の精神でしょうか。言葉としては分かってはいてもなかなか大変なことも多いものですが、利他の精神でいくと基本的には物事は上手くというのが僕の考えです。」
−笠原 「樋口さんにとって大変なことって何ですか?」
−樋口さん「倫理と経済とのバランスでしょうか。健全な事業はこの2つが両立していますね。また、伊藤忠商事では、事業というのは売り手よし・買い手よし・世間よし、これが絶対であるとことを学びました。」
−笠原 「三方よしですね。」
−樋口さん「まさにそうです。」


 

■ フルパワーで生きても追いつかなかった海外留学

自分の生きる軸の基準をすでに確立し、その軸に沿った働き方、生き方をされているように見える樋口さん。
その軸にも話しが及びました。
−笠原 「ところで樋口さんの人生のターニングポイントはありますか?」
−樋口さん 「アメリカ留学ですね。留学の動機は、英語が喋れるようになりたいとかではなく自分を試す為でした。生活は本当に大変でした。まず、オリエンテーションの英語がさっぱり分からない。でも説明が終わると周りの学生は行くべき場所が分かって散らばっていくわけです。僕一人どこに行けばいいかわからない。そこで、見るからに優しそうな人を捕まえてどこに行くべきかを身振り手振りで訴えました。ようやくその日から生活する学生寮にたどり着いたのですが、着いたら着いたで部屋の扉がオートロックであることを知らない為閉め出されたり、、。朝の7時半に授業ということで寮を出ても、外は真っ暗、不安になって自分の腕時計を見ても本当に正確な時間であることすら怪しくなってくる。サマータイムがありますからね。おまけに語彙力が圧倒的に少ないので、ものすごく偉いに違いないであろう教授に対しても命令口調で言ったりと、まあ本当に大変でした。フルパワーで生きても生活が送れない。あの留学経験のおかげで怖いものがなくなりました。かっこつけてもしょうがない。」

 

■ 「死を意識することが大事」

−笠原 「開き直りですね。」
−樋口さん 「そうですね。僕は、基本ポジティブシンキングなので、失敗や不幸というのも後からラッキーと思えれば今の不幸もラッキーと捉えています。また、人生の価値は、死んだ後も分からないと僕は思います。そう思うのは、僕は8年前にスキー骨折し東京の病院で手術を受けた体験からもきています。麻酔から目を醒ますと『日本が変わっていた』んです。実は、手術したのは3月11日の東日本大震災が起こったまさにその時間だったんです。目が覚めると病院は、帰宅難民の人で溢れ、病院は、野戦病院状態。そこで、骨折したのが不幸だったのか、病院で建物の設計上一番地震の揺れに強い場所である手術室で震災の難を逃れたので運が良かったのか、どちらをとるかです。現実をどう捉えるかです。ただ言えることは、(人生において)死を意識することは大事であるということ。そういう体験をしないとトラブルがあった時の判断が甘くなるんじゃないかと思います。」
 
 
 

■ 仕事場はアジア

今の神鍋高原は、グラススキー、サマーキャンプ、そして関西初の熱気球体験が出来る夏も遊べるスキー場。
−笠原 「今後、この神鍋スキー場をどう経営されていかれますか?」
−樋口さん 「神鍋の人口は減少していっています。それは確かです。民宿経営する親の世代も子供に継承を強いていません。ですから人口減少を、衰退ととるか進化ととるか。新しい秩序に移行しているであれば人口減少を悲しんでそれを無理にくい止めようとする必要はありません。どの秩序に向かっているのか?僕は、この場所を非日常を提供していく場にしていきたいと思っています。雪にも可能性を見出しています。雪の降らない海外の人からみると、ここは非日常を体験できる場です。雪体験そのものに可能性があると思っています。ですから僕の仕事場は神鍋高原というよりもアジアですね。」
 
学生時代は、留学だけでなく、インドでストリートチルドレンに朝食を提供ボランティア活動の為、通勤ではドアがなく落ちたらすぐ死ぬという満員列車の体験もした樋口さん。
「文明と引き換えに日本は何を捨ててきたのか、日本で当たり前のことが実は当たり前でない」と言う樋口さんは、幸・不幸、生・死、日本の外・中といった進むべき方向の決定をする軸を、既に経験されている方という印象を受けました。
今後の活動が楽しみです。
 

【絆のカタチ】No.52 AC播磨イーグレッツ運営事務局代表 岡田隆人様

絆工房とイーグレッツ

 

『ジャイアント・キリングになれ』

 
1993年にユネスコ世界遺産に登録された姫路城。その姫路城のお膝元に今回取材するAC播磨イーグレッツ運営事務局があります。
バスケットボールチームとフットサルチームの2本柱で地域リーグに所属。
姫路で唯一の女子フットサルチーム。イーグレッツのイーグレットegretは、白鷺という意味。
真っ白な漆喰の壁が美しい姫路城は、まるで天を舞う白鷺のように見えるということで、別名白鷺城とも言われています。その白鷺にちなんでチーム名が誕生。天高く羽ばたくべく、日々練習に励んでいます。

 
その白鷺女子のチーム活動を支えているのが岡田代表。
20代でイベント音響関係の会社を立ち上げて現在58歳。
バスケットボール経験者で、家族も野球、バスケに打ち込んでいるスポーツ一家。
2012年に女子サッカーチーム「ASハリマアルビオン」を、翌年にバスケットチームを立ち上げそのオーナーに就任。ちょうどその頃、インカレベスト4に入る実力者で日体大卒業後、姫路の日ノ本短大に在籍中でもあった小平キャプテンが、フットサルも是非設立して欲しいという要望を受けて誕生したのがフットサルチーム。「日本一を目指すには、まずは「日本一を決める試合に出られるようにならないといけない。」と岡田代表。
「彼女達はポテンシャルがあるのですから、もっと果敢に試合を攻めて欲しいですね。でも、尻込みして守りに入ろうとする時もあり、歯がゆく感じます。」
代表が悔しそうに話されるのには理由があります。それは取材日の直前に先月(6月)に行われた試合結果。
 

普段は選手に直接指導をしないという代表ですが、その時は、思いを抑えきれずに「遠方から応援に来てくださった親御さんやスポンサー各社の方も応援に駆けつけて下さった。
他にも多くの方に支えられてフットサルが出来ている。そのことに本当に感謝しなければならない。
それに答えるには、勝つこと、一生懸命にやっている姿を見ていただくことである」と、熱く選手に伝えたそうです。
もどかしくても、歯がゆくても、常に選手達の『日本一になりたい』夢の実現に向け、選手の住むところ、働く会社も斡旋。
 

—笠原「なかなか仕事も紹介してくれるところは少ないですよね。苦労があるのではないでしょうか。」
—岡田代表「そうですね。せっかく紹介しても仕事の方が続かなかったりする選手もいますし、しっかりとバランスのいい食事を心がけるように言っていますが、彼女たちはまだまだ若いですからつい食費を削ってしまうんですよね。アスリートは体が基本ですからしっかりと食べて欲しいので、たまに焼肉に連れていったりします。」
―笠原「ほぼボランティアでやっているサポートですが、そこまでされる代表の思いは何ですか?」
―岡田代表「沢山の苦労をしても、試合に勝った瞬間というのは、何とも言えず嬉しいものです。その瞬間が忘れられず、その瞬間の為に彼女たちのサポートをやっているという感じです。」やはりとても嬉しいとガッツポーズをとられて言われた岡田代表。
何としても日本一を決める試合会場に出場させてやりたいという親心のようなものが苦労してもサポートし続ける原動力となっています。
その原動力こそが、代表と彼女達との絆の核であると感じました。
事務所での取材の後は、近くの体育館に移動。
雨の降りしきる午後7時にJA体育館の扉を開けると、既に仕事を終えたフットサル女子5人がウォーミングアップ。
今春ユニフォームの打ち合わせに来社した際に『日本一を目指します!』と力強く言われた小平キャプテンの姿もあります。彼女達の出身地は様々。
北海道、東京、大阪、佐賀と、全国から集まっており、ほぼ毎日仕事が終わってから練習に励んでいます。
 

—ウェアサプライヤーとしての絆工房に期待するものとは?
—岡田代表「是非、試合会場に応援にきて下さい。選手のモチベーションがあがって張り切りますよ。それから、手足の長い選手のユニフォームの他にも、背の低い選手用の丈の短いパンツも欲しいですね。体育館でスライディングしても破れないソックスも欲しいです。」
今回実際に取材してみて、選手の生の声も頂くことが出来、今後の商品開発に活かしたいと思います。

 

 

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